ブログ 上田城の金箔瓦7 金箔瓦というのは、読んで字のごとく瓦の凸凹面に金箔を張った大変ぜいたくな仕様の瓦で、織田信長、豊臣秀吉の時代、いわゆる安土桃山時代の城を中心に使用されたものである。 しかし、その時代の城はどこでも金箔瓦を使用したのかというとそうではない。 ... 2020.07.25 ブログ
ブログ 上田城の金箔瓦6 金箔瓦は本丸西の堀に集中して発見されている。 そこから考えられることは、真田氏の上田城が破壊されたとき、壊された建物は瓦とともに本丸の堀に捨てられ、その後、本丸の堀も跡形無く埋められてしまったため、金箔瓦が長い間地中に埋もれてしまっていたと... 2020.07.23 ブログ
未分類 上田城の金箔瓦5 仙石氏は埋められていた堀を掘り返し、要所に石垣を築くという新たな築城工事を始めた。 しかし、仙石氏が上田城に入った寛永三年(1626)という年は「武家諸法度」により城の築城が大きく制限されていた。 城はもはや軍事的な意味合いよりも、藩の政治... 2020.07.21 未分類
ブログ 上田城の金箔瓦4 真田氏の居城であった上田城は慶長六年(一六〇一)ころに完全に破却されたのは事実である。 その後、関が原合戦では家康方についた真田昌幸の長男信之が父の領地を受け継いで上田に入るが、幕府は頑なに上田城の再建を認めず、信之は仕方なく近くに陣屋を建... 2020.07.19 ブログ
ブログ 上田城の金箔瓦3 これほどの金箔瓦が発見されたということは、上田城には金箔瓦で屋根を葺かれた豪華絢爛な建物があったというになる。 だが、そんな豪華な建物が質素だと思われていた上田城にあったとは考えにくい。 だが、考えてみると、上田城が質素であるというのは、あ... 2020.07.17 ブログ
ブログ 上田城の金箔瓦2 このように、現在残る上田城は実は真田氏時代のものではない。 それは真田氏の後に上田に入った仙石氏が築き直したものである。 それでは真田氏時代の上田城はといえば、実はどのような規模でそこにどんな建物があったのか今もって分からない。 慶長五年(... 2020.07.15 ブログ
ブログ 上田城の金箔瓦1 上田市の中心街に市の一番の観光名所となっている上田城がある。 上田城は真田氏が築城した城として有名で、旧本丸跡には現在も真田神社という真田氏を祭る神社も建てられている。 この上田城がなぜ有名かというと、真田氏がこの小さな城で当時最強といわれ... 2020.07.13 ブログ
ブログ 真田の里を歩く12 そのことから、何者かがこの墓石を「故意に破壊したか、あるいは隠滅をしたとも考えられる」(『真田町誌』)という結論に達した。 この墳墓は検出された石塔群の年代や同時に出土した古銭や土器、石皿、石臼などから真田幸隆以前の真田氏のもので、南北朝期... 2020.07.11 ブログ
ブログ 真田の里を歩く11 この平場にはかつて真田家の菩提所であったとされる「松尾山常福院」という寺があったという。 しかし、現在は何もなく、古い阿弥陀堂が隅にぽつんと一つ建っているだけである。 ここは長い間畑になっていたが、昭和四十六年(一九七一)、その畑の耕作の折... 2020.07.09 ブログ
ブログ 真田の里を歩く10 大雨、洪水の被害がひどくなっております。 私が少年時代を過ごした福岡県大牟田市でも、大きな被害が出ているようで、九州、中国にこれ以上大雨が降らないこと、被害が出ないことをひたすら祈るばかりです。 大牟田は私の先祖が城を築き、統治したところで... 2020.07.07 ブログ