ブログ 戦国の透波(すっぱ)にご用心 忍びの総称として「草」という名称を用いることが多いが、草の別称として、乱波(らっぱ)、透波(すっぱ)(素波)という名称を用いる。透波には、盗人、詐欺師、すり、②野武士、強盗から出て間者をつとめた者、忍びの者、③邪心、偽りの心をもっている者と... 2021.06.29 ブログ
ブログ 北の関ヶ原と忍者 慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の前哨戦ともいうべき、家康の上杉攻めにあたって、会津と関東の境、那須(栃木県)黒羽城には、岡部長盛が甲賀衆百人を、服部保英が伊賀衆百人を率いて入城していた。ここから、黒羽城には二百人という大量の忍者が配されていたこ... 2021.06.26 ブログ
ブログ 六月のNHK学園歴史講座「戦国の諜報戦と忍者」 本年6月度のNHK学園「歴史講座」は、「戦国の諜報戦と忍者」というタイトルで行いました。今回は新たに三人の受講者の方が加わり、一人一つの机で教室がいっぱいになりました。忍者といえば、伊賀流、甲賀流に代表される、黒装束で敵に向かって手裏剣や撒... 2021.06.23 ブログ
ブログ 大友宗麟の居城丹生島城 最盛期は九州六ヶ国を支配した戦国大名大友宗麟でしたが、平地にある大友館は守るに堅いものとは言えない状況でした。確かに、大友氏は詰めの城として高崎山城という大きな山城を有しておりましたが、宗麟は政治拠点と防衛を兼ねた居城の必要性にかられ、豊後... 2021.06.18 ブログ
ブログ 豊後府内大友館の復元整備 大分市の一等地にあった戦国大名大友氏の館跡が全面発掘されて、今度、優雅な庭園が復元されました。庭園は戦国時代屈指の大きさで、最盛期九州六か国を支配した大友氏の館にふさわしい趣向を凝らしたものであったことが分かります。また、大友館は主殿が復元... 2021.06.15 ブログ
ブログ 大分大友氏の館の発掘保存はすごい 私が三年前に訪れたときは、まだ、庭園が発掘中で、館跡の発掘は概ね終わっていたようです。(大友館発掘現場)驚いたのは、この館跡の場所は大分市の一等地にあるということです。また、館跡にはマンションなどもあったようで、それを移すとなると大きな困難... 2021.06.12 ブログ
ブログ 大友宗麟の都豊後府内(大分市) (府内古図)上記の図は府内の古図である。中央左に宗麟を初め大友代々の館大友館がみえる。その左下には大友氏の菩提寺万寿寺、同じ大友館から上に二つの通りを経て「ダイウス堂」がある。「ダイウス堂」は大友宗麟時代の教会があったところ。ただし、教会と... 2021.06.09 ブログ
ブログ 美しき府内城 大分府内城は大変に美しい城でした。ここに往時の姿を再現してみましょう。以下の図は府内城の縄張りです。堀が効果的に廻されて、水の城というイメージです。以下は復元図です。現在は本丸の堀は埋められておりますが、そのため、縄張りに鋭さがみられなくな... 2021.06.06 ブログ
ブログ 大分府内城天守閣 (府内城天守復元図)前回ご紹介した大分市内にある府内城は本丸の堀が埋め立てられたせいで、現在の縄張りに鋭さは見えませんが、大きな天守台はかなり迫力があります。この上に立っていたのが、上図の四層の天守閣です。破風はなく、華美さはありませんが、... 2021.06.03 ブログ