上田城の金箔瓦11

平成三年の発掘では本丸水堀の底の南西の隅と北西部より軒丸瓦が多数発見されている。
軒丸瓦は軒先に葺かれる丸い瓦で、上田城のものは菊花文様をしている。
これは八枚または九枚の二重の花弁の菊の花をあしらったもので、秀吉時代の大坂城、聚落第や伏見城で出土している桃山期の瓦と大変よく似ている。
また、そこからは同じく桃山期のものと思われる桐紋鬼瓦も同様に発見されている。
このように真田時代と推定される瓦の多くは本丸西側の堀底附近から見つかっている。
これは明らかに本丸西側にあった建物が破壊される際に、その直下の堀に投げ込まれたか、あるいはすべり落ちていったことを表していると考えられよう。
事実、この本丸西側の堀の土手の表面から一メートル程の深さの所に真田氏時代の瓦の層と見られる瓦層の存在が確認されている。
堀底から発見された瓦はこの瓦層からだんだん雨などで瓦が洗い出されて底に沈んだものであると考えられている。(『上田市誌』)
さらに、瓦は本丸西の堀の中でも、特に北端部と南端部の内側から数多く出土している。
それはこの場所に大きな建造物があったことを意味している。
仙石氏もここに隅櫓を建てていた。

タイトルとURLをコピーしました