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近年の関ヶ原

早いもので、『敗者から見た関ヶ原合戦』を世に出してもう16年が経ってしまった。思えば、現地調査、フィールド・ワークでよくあそこまで書いたものだと自分で感心している。当時はまだ今のような確実な文書も少なく、手探りで一気に書いてしまった感がある...
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先祖の血

電車に乗ると、つい優先席を避けてしまう。十分優先席に座れる年齢になったのだが、まだ、若いつもりなのだろうか。それにしては、足腰が弱って来た感があり、年齢は決して嘘をつかない。昨年、先祖の三池氏の足跡を追って福岡まで旅をした。年齢的にも、これ...
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歴史作家

最近、肩書を「歴史作家」に統一しました。私はもともと歴史の背景に常に人間を見続けてきたと思っており、それはこれからも変わることはないと思うからです。それは単に歴史的事実のみを追いかけるという学問的なものではなく、あくまでも作家という領域に属...
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NHK学園の近況

NHK学園で歴史講座を担当させていただくようになってもう七年目に入りました。今日まで続けられたのは、毎回毎回熱心に集ってこられる講生の皆様の支えがあったからです。私の拙いお話を毎回熱心に聞いて下さる皆様にただただ感謝しかありません。何年続け...
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昨年は石田三成との一年でした。

昨年は、自分にとって石田三成との一年間だったような気がします。一昨年、石田三成の子孫の方と知り合いになり、昨年6月には新潟妙高で行われた子孫の方の会である「石田三成同志会」の総会にご招待いただき、そこで二日間にわたって講師をつとめさせていた...
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そろそろ

昨年はお正月からコロナにかかり、調子がなかなか戻らなかったので、ブログをお休みさせていただきました。また、11月には突然の発作に見舞われ、一時は駄目かと思いましたが、病院に向かう途中で持ち直し、何とか一命をとりとめた感じです。今も本調子とは...
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今年最後の歴史講座

今週26日(火)、今年最後の「歴史講座」を行いました。今回は「どうする家康 総集編」と題して、受講者の皆様からの質問や疑問を中心に賑やかに楽しく行いました。一応、今回は「石田三成の実像とは」という内容を予定しておりましたが、「どうする家康」...
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ポスト秀吉⑲

奉行たちとの確執はそれだけではなかった。文禄4年(1595)、正月、朝鮮への出兵はすでに三年を経ようとしていた。日本軍は、果敢に進軍し、一時は朝鮮の首都漢城(現在のソウル)を確保する勢いであったが、朝鮮の義兵によって兵糧の輸送路を経たれ、寒...
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ポスト秀吉⑱

このとき、実戦の現場でこれまで長期間戦ってきた黒田長政、蜂須賀家政、加藤清正らと秀吉の命を受けてただ一度やってきただけの軍監との間には朝鮮での戦をめぐっての温度差、認識の差があった。軍監福原長堯もこの理由を現場の諸将に質し、彼らと話し合えば...
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ポスト秀吉⑰

このときの日本軍の軍監は三成の娘婿の福原長堯(ながたか)らであった。福原長堯らは、この日本軍の壮絶な勝利を見ながらも、日本軍が連合軍を追撃せず、結果として彼らを討ち逃がしてしまったことを帰国後、上洛して秀吉に報告した。この報告を聞いた秀吉は...