2020-12

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佐和山城下「聞書」の謎2

「聞書」というのは、まさに、古くから伝わっていた「言い伝え」などをまとめたものであるが、それが今日までたくさん残されていたということは、それをどうしても後世に伝えたい、どうしても語り残しておきたいという、民衆のエネルギーというか強い意志がそ...
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佐和山城下「聞書」の謎

彦根市の図書館の歴史は古く、大正時代初期にはもう開設していたという。 そのことから、図書館はもう九十年近い歴史をもっていることになる。 そのため、ここには、彦根に関する古い文書がたくさん所蔵されており、まだ現在でも十分な整理ができていな...
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佐和山城と城下の消滅

石田会館を後にした私は、長浜から琵琶湖の湖岸道路を車で飛ばして、彦根市に向かった。 かつての彦根城内にある彦根市立図書館を訪ねるためである。 図書館には、彦根市独自の郷土資料がたくさん保管されており、ここに佐和山城破壊に関する何らかの資...
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昔、佐和山に登ったこと 27

しかし、その中でも石田村の人は精一杯の抵抗を試みた。 それが、八幡神社の裏に作った塚であったのではなかろうか。 あの塚だけは、誰も手を触れさせない村人の権力に対する精一杯の抵抗であった。 そして、村の誇りであった三成を、石田家を忘れな...
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昔、佐和山に登ったこと 26

石田屋敷を破壊した一団は、今度は石田家の墓地まで破壊の手を伸ばし、その墓石をも叩き割って、周辺に打ち捨てたのであろう。 それを村人が一つ一つ拾い集めて、石田家の守り神とされていた八幡神社の境内の隅にひっそりと塚を作って埋め、今日まで大切に...
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昔、佐和山に登ったこと 25

昔から、「この塚に触ると腹が痛くなる」と言い伝えられていたところだっただけに、木下さんは子供のころから、あの塚の中には何が入っているのだろうといつも疑問に思っていたという。 八幡神社の裏にひっそりと築かれていたその塚がついに発掘されたのは...
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昔、佐和山に登ったこと 24

私は、心の中でずっと疑問に思っていたことを聞かずにはいられなかった。 それは、ここ石田会館が建っている土地は、かつての石田家の屋敷跡だと聞いていいるが、戦前から屋敷を示す何の痕跡もなかったのかということであった。 すると、木下さんは、こ...
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昔、佐和山に登ったこと23

石田町、かつての石田村では明治になるまでお正月になるとキリシタンの宗門改めと村に石田の残党がいないことを毎年証文で提出させられていたという。 「切支丹信者一人も無之候」と「石田三成の末孫一人も無之候」と連記された文書に村の全員に署名捺印を...
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昔、佐和山に登ったこと㉒

その日はなぜか留守の方が多く、やっと何件目かで、当時、顕彰会の副理事長をされていた木下さんという方と連絡が取れた。 受付の婦人は私を会館の座敷に案内し、「もう少し、待っていただけますか」というと冷たいお茶を出してくれた。 喉が渇いていた...
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昔、佐和山に登ったこと㉑

途中、琵琶湖畔にある長浜城歴史資料館に立ち寄った。 そこには青森の杉山家に伝わる三成の肖像画が陳列されており、それを一度見ておきたかったのである。 肖像画の中の三成は、目をきっと見開いて、何かをみつめていた。 その視線は、宿敵徳川家康...
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