2022-04

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「川角太閤記」巻1 秀吉、信長に中国出陣を要請す

信長が安土で家康を歓迎していたそのころ、羽柴秀吉は安芸の毛利輝元と対峙し、備中の巣蜘蛛塚の城を攻め落とし、河屋城へ押し寄せていた。 城を守る毛利方は羽柴軍の勢いに驚いて降参。 秀吉は城を受け取ると、次のターゲットである高松城へ押し寄せた。 ...
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四月度NHK学園「川角太閤記」巻1

NHK学園の歴史講座は四月、五月と「川角太閤記」を学ぶことになりました。 「川角太閤記」は全五巻からなり、成立年代は元和七年(1621)から元和九年(1623)と推定され、著者は豊臣大名田中吉政の旧臣川角三郎左衛門とされています。 江戸時代...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む27 家康軍関ヶ原に入る

、そのころ、関ヶ原には松尾山城の他に北國街道を塞ぐ700メートルにわたる大土塁が築かれ、宇喜多陣は古代の土塁を利用し構築され、家康を迎え撃つ準備がすでに整っていた。 ここにおいて、家康軍はそれら三成が関ケ原に築いていた強固な防衛線を攻めるこ...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む26 家康動く

大垣城の石田方は城の外曲輪に小屋掛けしていた兵の小屋を焼き払い、午後六時ころ、ついに大軍を動かした。 この情報を夜半に察知した家康はすかさず追撃を開始した。 ここに大垣城を攻めるという当初の作戦は消え、家康は野外での決戦を選択せざるをえなく...
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関ヶ原合戦前夜「慶長記」を読む25 小早川による松尾山城ジャック 

家康は当初は赤坂で秀忠率いる徳川本軍三万五千の兵が到着するのを待つつもりであった。 また、大垣の西軍首脳も大坂より毛利輝元が出陣するのを待って関ヶ原へ向かうというシナリオを描いていたことであろう。 しかし、両者共に思いがけない出来事が起こっ...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む2 4 家康、美濃赤坂に到着。戦況は混沌。

「清洲より諸人武具にて岐阜へ、中納言(織田秀信)家老百々越前守家へ着御。岐阜より長良へ御かかりながらの渡りを越えさせられ候。大垣に備前中納言(宇喜多秀家)・小西摂津守(行長)・石田治部少輔・福原右馬之助その外籠城故、道を御廻り候。」 いよい...
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夜の歴史講座

今月から、NHK学園、夜の講座を担当することになりました。 夜の講座は来年の大河ドラマを意識して、「徳川家康」を六回連続で行うことになっています。 第一回目は「徳川家康の時代」と題して、 1,戦国時代とはどういう時代であったか。(世界の寒冷...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む23 揺れ動く家康

「慶長記」の九月十日の条には「十日、熱田、此の日、西の海辺四五ヶ所焼く。是は敵方九鬼大隅守(嘉隆)焼き候由、岡崎より池鯉鮒へ行くに煙見ゆる。熱田浜辺より五、六町程先に、大船一艘、地は紫に白桐の頭の幕張りたり。九鬼大隅守船之由。先へ遣わされ候...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む22 小早川秀秋の接触

九月三日、家康は東海道小田原に着いた。 そこに、これまで石田方の中核部隊として行動してきた小早川秀秋が使者を遣わしてきた。 だが、家康はこれを取り合おうとはしなかった。 この小早川の使者が家康に何を伝えようとしたのかは分からないが、内応の意...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む21伊達政宗の不安と家康の出馬

上杉攻めの最前線宇都宮城を守っていた秀忠が上終結していた徳川三万五千の本軍を率いて行くことになったことで、大きな不安を覚えたのは伊達政宗であった。家康、秀忠が関東を後にすることは徳川による上杉攻めが完全に消滅したことを意味する。 もう徳川の...