上田城の金箔瓦7

金箔瓦というのは、読んで字のごとく瓦の凸凹面に金箔を張った大変ぜいたくな仕様の瓦で、織田信長、豊臣秀吉の時代、いわゆる安土桃山時代の城を中心に使用されたものである。
しかし、その時代の城はどこでも金箔瓦を使用したのかというとそうではない。
当初は、織田信長、豊臣秀吉といった権力者のステータスを担ったものだけがその使用を許されていた。
この金箔瓦が真田氏時代の上田城から発見されているが、上田城からは金箔の鯱瓦も出土している。
鯱瓦とは城の天守閣などを飾っている瓦である。
また、上田城では本丸以外の場所からも金箔瓦が出土していることから、真田時代の上田城は櫓の数も現在の上田城のものよりはずっと多く、そこにも金箔瓦が使用されていた可能性が高いとみられる。
まさに、真田時代の上田城は現在の質素な城とは異なり、光り輝くまばゆいばかりの豪華絢爛な城であったことになる。
だが、信州で金箔瓦が発見されたのは上田城だけではない。
他に小諸市の小諸城、松本市の松本城でも発見され、さらにはこれまで天守閣の存在はないとされてきた山梨県甲府市の甲府城、それも天守台付近からもみつかっている。
発掘調査の結果、金箔瓦は北は福島県の会津若松城から南は熊本県の熊本城まで全国にわたって使用されていたことが分ってきた。
 絢爛豪華な城郭文化、安土桃山文化は安土、大坂、京都といった当時の日本の中心の地だけではなく、全国にわたって花開いていたのである。

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