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村々の力を借りて国境防衛につとめていた上杉氏

上杉の拠点白川城にも「凡下(百姓たち)」の者が入っており、これも農兵だったと思われることから、上杉領境目の防衛を担っていたのはまさに白河近郷の村々の農兵であったものと思われる。 白河に出された陣中掟書に「法度の如く褒美の …

関山山麓の村を押さえた上杉軍

国境を村人が守っていたことをうかがわせる興味深い記録がある。 それは「元和八年(一五二三)に関山の地主秋場雅楽、穂積重右衛門が領主に出した書付である。 そこには、慶長5年、徳川と上杉の緊張が高まる中、関山の百姓たちの動き …

三本目の街道を守る下黒川城

境目三本目の街道は那須塩原から七曲を経て奥州下黒川に至る街道である。 ここでは黒川という幅百メートルほどの川を渡らなければ上杉領には入れない。 そのため、川の存在が大きな防御線となっている。 当時、ここには正規の橋など架 …

白河街道を守る小屋山城

前回述べたが、当時の白河街道は現在と異なり、関の守城の東の湿地帯の中を通っていた可能性が高い。 白河の関跡の南には今も小川が流れているが、当時の街道はまずこの川を渡り、次に関の守城の東の湿地帯を通らなければならなかった。 …

白河街道守りの城

(関の守城と小屋山城) (洋泉社『北の関ケ原合戦』より) 前回でも述べましたが、白河街道入り口には古代中世の白河の関跡があり、そこに横矢が設けられた堀一重の館城の跡が今も残っております。 作りからいっても、戦国時代のもの …

白河の関を守る二つの城

二本目の那須芦野の手前伊王野から北東に会津に向かう街道にも同じことがいえる。この境目には有名な白河の関があるが、そこには何と二つの中世城郭が存在している。一つは白河の関跡にある神社のすぐ南に存在する通称「関の守城」と呼ば …

陸羽街道の国境を守る神社は関所だった?

実はここに上杉領境目の守りの実態を知る手がかりがあるのではなかろうか。 関山には上杉氏は手を付けられなかった。 それは、この関山周辺の地域はそれだけ村々の力が強く独立性が高かったからからだと考えられる。 それは先に示した …

上杉氏による改修が見られない関山

(関山遠望) 以上は、先に述べた白河の関を見下ろす関山という標高六一九メートルの山を舞台にして行われた合戦の模様を伝えている。 関山の山頂には現在も『継志集』にいう満願寺という天平二年(七三〇)に建立された古い寺院の跡が …

関山合戦②

関山の上で資重と備中は計略を練った。 夜が明け、九月十五日の朝になると、奥州勢が押し寄せてきた。 先手は馬に乗り、我先にと登ってきたが、資重が下知したのは例え敵が幾千登ってこようとも、下知なくしては鉄砲も矢も撃ってはいけ …

「関山合戦」①

関山合戦の舞台となった福島県白河市は栃木県と福島県の県境の町であり、そこには有名な白河の関がある。 それを見下ろす関山という標高六一九メートルの山頂には満願寺という天平二年(七三〇)聖武天皇の勅使により行基が創立したと伝 …

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