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上田城の金箔瓦15

だが、秀吉政権のもとでは、当時の武将は誰でも伏見城や大坂城にならって自分の城を豪華絢爛に改修することができたのであろうか。そしてそこに金箔瓦を自由に使用することができたのであろうか。 それも伏見城とまったく同じ八枚または …

上田城の金箔瓦14

慶長五年(一六〇〇)、関ケ原合戦において、美濃に向かっていた徳川秀忠軍は再び上田城を攻めるが、『寛永諸家系図伝』によれば、徳川軍はそのとき「大手の門」に押し寄せ、真田の兵は「矢倉のうへより弓をもって」防戦していたが、それ …

上田城の金箔瓦13

特に、沼田城では、本丸の天守閣推定地の周辺から近年の発掘調査で真田時代の天守に使われていたと思われる金箔瓦や軒丸瓦などが出土しており、その中には上田城出土のものとそっくりな菊花文軒丸瓦もあることが確認されている。 これは …

上田城の金箔瓦12

瓦は本丸西の堀の中でも、特に北端部と南端部の内側から数多く出土しているが、そこで発見された瓦は金箔瓦である。 そのことから、真田氏も後の仙石氏と同じ場所に櫓を建てていたことは間違いない。 ただし、真田氏の櫓はその屋根に金 …

上田城の金箔瓦11

平成三年の発掘では本丸水堀の底の南西の隅と北西部より軒丸瓦が多数発見されている。 軒丸瓦は軒先に葺かれる丸い瓦で、上田城のものは菊花文様をしている。 これは八枚または九枚の二重の花弁の菊の花をあしらったもので、秀吉時代の …

上田城の金箔瓦10

二の丸北西隅の櫓台下は現在、上田市市営野球場の一塁側スタンドに使われている土塁の北端に当たるが、その近くからは後に金箔を貼った鳥衾(とりぶすま)瓦も出土している。 鳥衾瓦というのは建物の棟の両端から突き出す形で使われてい …

上田城の金箔瓦9

天正十三年(一五八三)の上田城合戦では徳川軍は上田城を「天守もなき小城」と侮った(『武家事紀』)とあるが、これまでの構造を検討した限りでは上田城はそんなに小さな城であったとは思えない。 確かに、当時の上田城には天守閣など …

上田城の金箔瓦8

それでは、真田氏の上田城はどのような城であったのだろうか? 享保十六年(一七三一)に著された真田家の歴史を綴った『真武内伝』によれば、天正十三年(一五八三)八月当時、つまり、真田氏が徳川軍と初めて戦った時点での上田城の姿 …

上田城の金箔瓦7

金箔瓦というのは、読んで字のごとく瓦の凸凹面に金箔を張った大変ぜいたくな仕様の瓦で、織田信長、豊臣秀吉の時代、いわゆる安土桃山時代の城を中心に使用されたものである。 しかし、その時代の城はどこでも金箔瓦を使用したのかとい …

上田城の金箔瓦6

金箔瓦は本丸西の堀に集中して発見されている。 そこから考えられることは、真田氏の上田城が破壊されたとき、壊された建物は瓦とともに本丸の堀に捨てられ、その後、本丸の堀も跡形無く埋められてしまったため、金箔瓦が長い間地中に埋 …

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