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外国人宣教師の見た日本の戦国時代③

「ローマ教皇勅書」では、アフリカからインドまでの征服、領有、貿易の独占を認め、他国民がポルトガル国王の許可を得ずに、それらの領域に航海することを禁止する、それらの領域の原住民を奴隷にすることを認める、ポルトガル国王に新発見地への布教を奨励す...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代②

大航海時代、イベリア半島からポルトガルは東に、スペインは西に航路を取って船を進めた。 しかし、地球が球体である以上、両国はやがて同じ大陸や島で鉢合わせする可能性があった。 その場合の土地の領有権と帰属先をどうするのか、それを解決するため...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代①

日本の発見 日本に初めて第一歩を記したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルは1545年9月末にマラッカに到着したが、そこで、ポルトガル商人から、最近発見されたという「大きな島」の話を聞いた。 それが日本であった。 それまで、ヨーロッ...
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10・30講演会より 最後に

以上、見てきたように、武田氏は丸馬出を配した城を侵略地に数多く築き、敵を追い詰めていった。 丸馬出は武田氏の城の大きな特徴であると同時に、そこには武田氏ならではの独自の戦い方が凝縮されていた。 また、丸馬出を持った城は、それ自体が武田の...
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10・30講演会より 豊臣包囲網の城④

近江を通る中山道を警戒し、有事には水運を使って京・大坂に駆け付けられる彦根に、石田三成の佐和山城を廃して彦根城を築いた。いずれの城も、馬出等を効果的に配し、戦う城となっているのが特徴である。 これらはほんの一部であるが、家康はこうして大坂...
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10・30講演会より 豊臣包囲網の城③

さらに、家康は山陽道を扼する要の城として傑出した防御力をもった姫路城を築かせ、山陰道を扼する城として丹波篠山城新たにを築かせた。 以下は丹波篠山城の図である。 この篠山城は、すべての虎口に角馬出を配することで戦闘力・防御力...
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10・30講演会より 豊臣包囲網の城②

また、家康は山陽道を扼する要の城として姫路城を築かせ、美濃には信長以来の山城であった岐阜城を廃して加納城を築かせた。 以下は加納城の図である。 ここでも城は虎口に巧みに角馬出を配して守りを強化している。 岐阜城は山城であり...
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10・30講演会より 豊臣包囲網の城

関ケ原合戦に勝利し、征夷大将軍に就任した家康は大坂の豊臣包囲網さらには西国大名を意識しての城作りを行った。 その代表的な城が東海道を扼す名古屋城(下図)である。 この城は虎口に三つの角馬出を設け、戦う城としての機能を有したもので...
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10・30講演会より 秀吉の城 大坂城

以下は大坂冬の陣の時の大坂城とされている図である。 図はやや模式図的になっているが、秀吉が晩年大坂城に新たに築いた城を囲む惣構えと二の丸に設けた複数の馬出曲輪が描かれている。 秀吉は晩年、大坂城にこの馬出曲輪と惣構えを構築...
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10・30講演会より 秀吉の城 聚楽第

秀吉は生涯に多くの城を築いているが、ここでは代表的な二つの城を見てみよう。 以下は、今は地上から完全に消滅した京都聚楽第の図である。 この城は秀吉が関白になるに及んで、京都に関白公邸として築いたものである。 秀吉は、関白で...
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