近年の関ヶ原

早いもので、『敗者から見た関ヶ原合戦』を世に出してもう16年が経ってしまった。
思えば、現地調査、フィールド・ワークでよくあそこまで書いたものだと自分で感心している。
当時はまだ今のような確実な文書も少なく、手探りで一気に書いてしまった感がある。
今は研究者の方々の努力で関ヶ原に関する文書が豊富に出てきて、新たな説がたくさん生まれ、ますます面白くなっているように思う。
しかし、それでも謎は多い。
例えば、小早川秀秋はいつ裏切ったのかという時間的な問題一つとってもいまだ論争は終わらない。
確かに、関ヶ原前日、小早川は家康が赤坂の本陣に入る時間に合わせるかのように行動を開始し、松尾山に入っている。
だが、ここでも近年の論争は、小早川勢は松尾山の山頂にいたのか、それとも山麓にいたのかという論議がなされている。
つまり、小早川は裏切る際に一団となって山を下りたのか、それとも、山麓で裏切る機会をうかがっていたのかということである。
小早川の裏切りが関ヶ原での三成ら大坂方の敗戦を決めてしまったことは種々の確実な史料から間違いはないことから、その小早川のスタンスは重要であろう。
戦場では何が起きるか分からない。
小早川が家康に内応していたからといってそれは絶対的なものではない。
状況次第でそれは変わる、つまり、家康さえも裏切る事態にならないとは限らない。
それは百戦錬磨の家康自身よく分かっていたはずである。
それゆえ、家康としては小早川が確実に裏切るような状況を作らなければならなかった。
それは何であったのか。

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