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外国人宣教師の見た日本の戦国時代⑦

ポルトガル人宣教師たちは安全を考え、次の候補地を探し、長崎の福田(長崎市)という港に目をつけたが、それを知った松浦家は大小数十隻の船を繰り出し、またも福田を襲撃した。 そこで、三度、ポルトガル人は港の候補地を探し、ついに福田の南にある長崎...
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『川角太閤記』巻2を読む  前田又左衛門の裏切りと柴田の敗軍

(前田又左衛門が)合戦に取り結ぶにおいては、裏切り願いたく思うが、かねてから軽々しく裏切りはしないと思われている。 (前田又左衛門は)合戦には構うことはしないということは裏切り同然であるとお心得なさってくださいと仰せ遺された。 又左衛門...
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関ケ原合戦前夜「慶長記」を読む12

関ケ原直前の慶長五年四月、オランダ船が豊後に来着した。 船の名前は「リーフデ号」。 そこには、後に三浦按針と名乗ることになるウイリアム・アダムスが乗っていた。 家康は船と乗組員を関東に移し、ウイリアム・アダムスから来航の目的などを聞き...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む4

三成の奉行職を奪い、佐和山に引退させた家康は佐和山城に家臣の柴田左近を遣わした。 三成の様子を探り、三成が戦に備えて佐和山城の改修などを行っていないかを確かめるのが目的であったのだろう。 三成は機嫌よく左近を歓待し、ごちそうを振舞い、帰...
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慶長の山城 関ヶ原松尾山城21

脇坂は関ヶ原以前、確かに家康に書状を送っている。 しかし、これはかなり以前のことでこれがそのまま家康に通じているという証拠にはならない。 脇坂はその後大谷吉紹と共に行動しており、関ヶ原への布陣も大谷と同時期に行っている。 大谷の使命は...
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甲斐姫講演会

5月から体調を崩し、ブログは休止状態でしたが、その間、細々と原稿を書いたり、講演会を行っておりました。 少し体調も回復したようです。 明年1月、埼玉県行田市で「成田甲斐姫」について講演会を行うことになりました。
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竹中重門と百姓の関ケ原

明年2月2日に『竹中重門と百姓の関ケ原』を出版することになりました。 これは、本年4月に行った関ケ原、垂井の現地調査を踏まえ、中田正光先生と議論を重ねて執筆に至ったものです。 石田三成の家康迎撃構想を打ち砕いたのは、不破郡特に垂井・関ケ...
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本日のBSTBS「諸説あり」に出演

本日、午後10時から放映のBSTBSの「諸説あり」に出演いたします。 これは、私の著書『モンゴル襲来と神風日本』で述べている説をテレビ局の要請に基づいて述べたもので、はたしてどれだけの時間出演しているかは、放映を見てみなければ分かりません...
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「歴史REAL」に執筆しました。

ここのところ、大変に体調が悪く、ブログが長い間お休みになってしまいました。 心筋梗塞、前立腺癌、癌治療の後遺症、自律神経失調など多くの病をかかえていますが、5月中旬から、とにかく疲れがひどく、また、集中力がまったくなくなって何も出来ずじま...
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東慶寺で『天秀尼の生涯』出版記念講演会

4月30日(日) 北鎌倉の名刹東慶寺において、東慶寺様の全面協力のもと、『天秀尼の生涯』(潮出版社)出版記念講演会を開催させていただくことができました。 井上御住職はじめお寺のスタッフの皆様、潮出版社の皆様が総出で、会場の設営から音響、...
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