2023-06

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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊽

また、ポルトガル本国には、ただでさえ、優秀な人材が不足しており、それをゴアの前線に送ることなどとてもできなかった。 そこで本国政府は、初期のころから、強制的に頑強な物乞い、無宿者、前科者といった非戦闘員を兵士として徴収し、ゴアに送り込んだ...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊼

ポルトガルは、東インド領国に数多くの要塞を築いていたが、それは主にインド西岸から西の地域と海域に偏在していた。 また、要塞の運営といっても、大規模な部隊や軍事力を投下していたわけではなく、大砲などの若干の武器とそれを操作する兵士を配置した...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊻

しかし、その硝石も1560年代の終わりには、「土硝法」という人工的に硝石を生産する技術が生み出され、実戦に必要な最小限度の硝石を賄うことができるようになった。 これによって、豊後国内でも「土硝法」による硝石の生産が行われるようになり、15...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊺

鉄砲の伝来が武器移転であったことにより、その製造方法、操作方法等にともなう一連の技術が広まり、鉄砲は豊後府内、平戸、坊津(鹿児島県南薩摩市)根来、堺、そして近江国友においても生産されるようになった。 大友宗麟の領国豊後においては、鉄砲の銃...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊹

一方、1510年にゴアを攻略したポルトガルは、その翌年、1511年にマラッカを陥落させ、ゴアとマラッカを結ぶルートが、ポルトガルの東南アジア海域進出の基幹航路となった。 現代においては、鉄砲や硝石がポルトガル船以外のルートで日本にもたらさ...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊸

ポルトガル人は、1580年四月、国力を超えた拡大膨張政策とインド洋の香辛料貿易の衰退が原因で疲弊し、スペイン国王フェリペ二世によって併合された。 そこで、イエズス会はスペインとの軍事的連携を行った。 ポルトガルは、鉄砲や大砲、弾薬に火薬...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊷

そこで、ヴァリニャーノはキリスト教徒を複数の地域に分散・配置することで、その地の領主を保護者とし、当該地を避難所とすることを提案いたが、現実には九州の領主たちは全員がキリスト教に改宗しているわけではなく、異教徒領主たちから、有事の際、保護を...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊶

イエズス会士たちは、ポルトガル人のナウ船とともに当地に身を置き、ナウ船が出航すると、別の土地へ移った。(1579年12月14日付ロレンソ書簡) 長崎に入港したナウ船のもたらす硝石、大砲、銃などの軍需物資は有事の際には武器として大村純忠、有...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊵

イエズス会のキリスト教徒在地領主への軍事援助行為には二つの目的があった。 一つはぜい弱な彼らの軍事力を強化し、その政権を安定させること。 もう一つは彼らから教団への軍事的保護を得ることである。 教団は自らの身は自らの手で守るのではなく...
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外国人宣教師の見た日本の戦国時代㊴

また、『大村家秘録』『長崎実録大成』によれば、大村純忠は龍造寺隆信との戦いにおいて、資金不足で軍需物資を準備できず、イエズス会から軍資金を借り入れたこと、借り入れた軍資金の返済が滞ったため、担保としていた長崎を教団に譲渡したことが述べられて...
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