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NHK学園の近況

NHK学園で歴史講座を担当させていただくようになってもう七年目に入りました。今日まで続けられたのは、毎回毎回熱心に集ってこられる講生の皆様の支えがあったからです。私の拙いお話を毎回熱心に聞いて下さる皆様にただただ感謝しかありません。何年続け...
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昨年は石田三成との一年でした。

昨年は、自分にとって石田三成との一年間だったような気がします。一昨年、石田三成の子孫の方と知り合いになり、昨年6月には新潟妙高で行われた子孫の方の会である「石田三成同志会」の総会にご招待いただき、そこで二日間にわたって講師をつとめさせていた...
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そろそろ

昨年はお正月からコロナにかかり、調子がなかなか戻らなかったので、ブログをお休みさせていただきました。また、11月には突然の発作に見舞われ、一時は駄目かと思いましたが、病院に向かう途中で持ち直し、何とか一命をとりとめた感じです。今も本調子とは...
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宣教師の見た秀吉④

天正14年(1586)五月、宣教師コエリョと四名の司祭、修道士ら三十名は大坂城に秀吉を訪問した。そのときの模様を次のように記している。「やがて関白は自席から立ち上がり、コエリョのすぐ近くまできて座ったが、両人の間には畳半分ほどの隔たりもなか...
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正確な?「関ヶ原合戦図屏風」

関ヶ原の現場に行って思うのは、「関ヶ原合戦」に描かれた地形が今もちゃんと残っていることである。例えば、宇喜多陣の場所、島津陣の場所などは極めて正確描かれている。驚くのは、島津陣の切岸が赤く描かれていることだ。これは島津陣の場所が鉄を含んだ土...
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川中島合戦雑記20(善光寺別当栗田氏のこと)

この大文字一揆に加わって守護小笠原氏と戦った栗田氏は村上氏と同族で、裾花川下流に栗田城を構え、至近にある平芝の守護所と対立していた。栗田城は現在長野市栗田の日吉社境内に巨大な土塁の一部が残されているが、そこは守護所があったと推定される中御所...
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川中島合戦雑記2

今まで見てきたこの合戦の話はというと、江戸時代初期の元和年間(一六一五~一六二三)に完成したとされる『甲陽軍鑑』という軍記書に書いてあるものなのである。そこには確かに合戦の内容は詳しく描かれてはいるが、『甲陽軍鑑』は川中島合戦から五十年以上...
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上田城の金箔瓦5

仙石氏は埋められていた堀を掘り返し、要所に石垣を築くという新たな築城工事を始めた。しかし、仙石氏が上田城に入った寛永三年(1626)という年は「武家諸法度」により城の築城が大きく制限されていた。城はもはや軍事的な意味合いよりも、藩の政治を執...
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不可解な菩提山城の馬出

一般的にいえば、「角馬出」は敵の攻撃から虎口を防御するために設けられる。だが、菩提山城のものは曲輪の広さに対して規模が小さすぎる。また、馬出の堀も狭く浅い。とても軍事的な必要性から設けられたとは思えない。本当に本丸虎口を実用的に防御したいの...