2022-03

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関ヶ原合戦「慶長記」を読む20 岐阜城落城

慶長五年八月廿八日、福島正則、池田輝政から家康に書状が寄せられた。 去る二十三日、岐阜城を攻め落としたので、出馬を要請するというものだった。 岐阜城は石田方の重要拠点で織田秀信(信長の嫡孫)が守り、周囲の竹ヶ鼻城や犬山城はそれを守る城として...
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関ヶ原合戦前夜「慶長記」を読む19福島正則の怒りと村越茂吉の智恵

慶長五年八月四日、家康は早朝に下野小山を出て、古河より舟に乗って江戸帰還を目指した。 途中、栗橋で舟橋を切ったため、お供は渡し船で川を渡るしかなかった。 十日、家康は江戸城で本多忠勝らと鶴料理を食した。 すると、そこに伏見城落城の知らせが寄...
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関ヶ原合戦前夜「慶長記」を読む18 福島正則への警戒

小山に着いた大名たちには、食事の振る舞いはおろか、茶も出なかった。 福島正則、池田輝政、浅野幸長らの武将は家康の御意を聞いて、広間を出ると直ちに上方へ向かった。 この「慶長記」には、小山の会議の内容については何も触れられてはおらず、ただ、そ...
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関ケ原合戦前夜「慶長記」を読む17 下野小山を目指す大名たち

家康のもとには家康に従軍した大名たちの妻子が三成によって大坂城内の長屋で人質にされたとの知らせが届けられた。 細川忠興の妻はそれに抵抗して自害、屋敷は焼亡したという。 いよいよ戦いは本格化してきた。 このころ、上方から来る書状は結われた髪の...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む16 古田織部と佐竹義宣

家康が上杉を攻めるにあたって不安材料の一つは常陸の大名佐竹義宣の動向であった。 120万石の上杉と50万石の佐竹が手を組めば、さらに大きな脅威となって、家康の前に立ちはだかることになる。 何より、佐竹は石田三成との関係が深く、家康派ではない...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む15 沼田騒動

犬伏を後にした真田昌幸は、次男の信繁、春原若狭、佐藤軍兵衛などを連れて沼田へ向かった。 沼田は今は嫡男信幸の領する地であるが、かつては昌幸が徳川、上杉と主君を変えながらも守り通した要衝の地であり、昌幸との関係は深かった。 利根川河畔に建つ沼...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む14 真田家の判断

真田昌幸の嫡男信幸は家康の重臣本多忠勝の娘を嫁にし、これまで家康配下の武将として仕えてきていた。 そんな背景から、ここにおいて、家康に付くのは当然のように思えた。 しかし、信幸は犬伏で父昌幸、実弟信繁と真田家の今後の行き方を話し合う前にすで...
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関ケ原前夜「慶長記」を読む13

関ケ原合戦直前の慶長五年四月、豊後臼杵にオランダ船が漂着し、その乗組員であるウイリアム・アダムスを家康が引見したことは前回述べた。 家康はこのとき豊臣秀頼を擁して大坂城西の丸におり、秀頼の代行として天下の政務をとっていた。 オランダ船「リー...
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関ケ原合戦前夜「慶長記」を読む12

関ケ原直前の慶長五年四月、オランダ船が豊後に来着した。 船の名前は「リーフデ号」。 そこには、後に三浦按針と名乗ることになるウイリアム・アダムスが乗っていた。 家康は船と乗組員を関東に移し、ウイリアム・アダムスから来航の目的などを聞き出した...