2022-07

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気候変動と戦国時代③ 武田信玄 父信虎を追放す

甲斐では永正元年(一五〇四)に「飢饉」(『高白斎記』)、永正二年(一五〇五)「疫病」(『塩山向岳禅庵小年代記』)永正七年(一五一〇)「大地震」(『高白斎記』)という災害が絶え間なく起こっていたが、信玄の父信虎はそれでも、その後、国内の有力領...
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気候変動と戦国時代② 飢餓・疫病に満ちた甲斐の国

 気候変動という視点から、武田信玄の領国甲斐の様相をみてみると、今まで我々が想像もしなかった事態が信玄の時代に発生していたことが分かる。  戦国時代の甲斐では、藤木氏や峰岸氏の指摘通り、飢饉・疫病が間断なく続き、それは領民の生活を直撃して...
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気候変動と戦国時代① 異常気候に見舞われた戦国時代

 戦国時代といえば、これまで、群雄割拠の時代、つまり長期化した内乱、応仁の乱で中央政府ともいうべき足利将軍=室町幕府の弱体化に伴い、各地に勢力を持ち始めた戦国大名たちが競って天下を争った時代であるとされてきた。 そこでは、力のある者が上位...
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『川角太閤記』巻2を読む  前田又左衛門の裏切りと柴田の敗軍

(前田又左衛門が)合戦に取り結ぶにおいては、裏切り願いたく思うが、かねてから軽々しく裏切りはしないと思われている。 (前田又左衛門は)合戦には構うことはしないということは裏切り同然であるとお心得なさってくださいと仰せ遺された。 又左衛門...
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『川角太閤記』巻2を読む 賤ケ岳の合戦始まる

秀吉は賤ケ岳へと馬を早められたが、道々在々の庄屋・大百姓たちを召し寄せて、「蔵を開き、めしを炊かせよ。馬のはみを粟ぬかにせよ。先手先手に持っている嗜みの米を出し、焼かせよ。米の算用は百姓たち、自分の米ならば十数倍にして後で取らせよう。急げ急...
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『川角太閤記』巻2を読む 秀吉、賤ケ岳へ

越前に遣わしていた目付が帰り、「峠の雪はもはや積もりました。馬などの通行ももう難しいと思います」との事である。 「時分は良い」と播磨を打ち立たれることになった。 宇喜多八郎(秀家)を先陣とし、一万五千の兵を率いてはや播磨に詰められた。 ...
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『川角太閤記』巻2を読む 秀長、姫路に帰還する

次の日、美濃守(秀長)は越前の勝家のもとを発たれた。 播州にて歓待したように、二三里も北庄より送られたところに仮の館を建てられ、御馳走をなされたそうだ。 黒い馬、葦毛の馬、二つ鞍を置かせて、「まずまずの馬であるが、長い道のりなので使って...
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『五輪書』地の巻に学ぶ②

安倍元総理の事件は、本当に痛々しく悲しい事件でした。 もうこんな事件は二度と起こしてはいけない。 命の重さを、生きていることの素晴らしさを、今日も『五輪書』に求めてみました。 「武士は死ぬ道をたしなむべきである」 どんな人間も死...
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残念な悲しい出来事 『五輪書』に学ぶ

本日、残念で悲しいニュースが入って来ました。 阿倍元総理が、卑劣な銃撃で倒れてしましました。 ただただ、回復を祈るばかりです。 主義主張は違っても、気に入らなくても、暴力で、その相手の命を奪うことなど絶対に許せません。 そんな安易な...
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「川角太閤記」巻2を読む 秀吉、舎弟秀長を北庄に派遣する

来年岐阜より御上洛なさるときには、道中の御殿、秀吉が造営されるとのことは尤もである。 近江の材木をお取りしたいとのことは近江に申し遣わされている。 「その上、杣(そま)番匠の事、山城の在々、伊勢にまで早々と申し遣わすべき」と又左衛門殿へ...
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