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昔、佐和山に登ったこと⑩

三成は佐和山城主になると、さっそく、城の改修にとりかかった。わずかに残る当時三成が出した文書には天正十八年(一五九〇)「『佐和山惣構部普請』にあたって四郡の百姓たちを動員したい」とあることから、城は「惣構(そうがまえ)」つまり、城の外郭部の...
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昔、佐和山に登ったこと⑨

そこで、素人の私にも分ったことは、この城は城全体を覆っていたであろう石垣が崩され、そのため、城が原形を留めないほどに破壊されて、山と同化して自然地形のようになっていたということである。しかも、石垣の石は一つも残すことなく故意に抜き取られてお...
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昔、佐和山に登ったこと⑧

その年の秋、長谷川氏の家を訪ね、氏のライトバンに乗せてもらい佐和山に連れていってもらった。長谷川氏親子は、もう、この城跡には何十回も足を運んでいるのであろう。軽快なフットワークで迷うことなく山の隅々まで私を案内してくれた。しかも、ただ、案内...
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昔、佐和山に登ったこと⑦

ある時などは、佐和山の岩ばかりの山の斜面を小さな岩や草をつかんで頂上まで登ったこともある。今、考えると、もし、足を滑らせたら谷底に真逆さまに落ちて命を失う危険もあった。まさに若気の至り、怖いものしらずであったと思う。しかし、それでも、城跡ら...
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昔、佐和山に登ったこと⑥

石田町でも、石田屋敷は完全に消滅していた。ここでも、何者かの手で石田家の屋敷は壊され、周囲をめぐっていた高土塁は完全に削り取られ、堀は埋められて、屋敷地は単なる田畑と化していた。私は、石田会館に行ったとき、そこにいた年配の男性に聞いてみたが...
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昔、佐和山に登ったこと⑤

だが、それは四百年前以上も前のことである。その屋敷地がなくなることは当然考えられよう。しかし、それは、宅地開発などの造成事業や道路建設など、近年の開発で人為的にその土地が大きく改変された場合などであり、土塁や堀跡という人工的な構築物はそんな...
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昔、佐和山に登ったこと④

石田三成については、江戸時代に著された『石田軍記』などには、「(三成は)江州石田村の地侍の子で家が貧しく、到底三成を養うことが出来なかったので、寺に送って小僧にした」などと描かれ、三成は貧しい家の生まれであることが強調されているが、これは最...
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昔、佐和山に登ったこと③

だが、消えていたのは城跡だけではなかった。私は今度は同じ滋賀県内で、地上から完全に消え失せている石田三成に関係するもう一つの遺構に出会うことになった。私は、佐和山を訪れた翌年、石田三成の故郷、かつての坂田郡石田村、現在の滋賀県長浜市石田町を...
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佐和山に登ったこと②

もう何十年も何の手入れも施されてないと思われる木々は生い茂るにまかせて、山の斜面を覆っていた。また、その途中には倒木や藪が行く手を塞いでいた。私は倒木を何本もまたぎ、蜘蛛の巣に悩まされながら、やっとの思いで山の斜面をよじ登った。しばらく登る...
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昔、佐和山に登ったこと。

今からもう40年もまえになろうか。私は司馬遼太郎氏の『関ヶ原』を読んで、石田三成の城があったという彦根佐和山に登りたくて、東海道線を乗り継いで彦根までやってきた。佐和山の山麓は彦根駅の北東五百メートルほどのところにあり、徒歩で十分ほどで着い...