ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑫ 当時、佐和山城の裏門から百間橋という橋が内湖対岸の入り江に向かって架けられていた。橋は直線ではなく三度曲折し、まさに湖に浮くような作りであったという。湖と橋と一体になった佐和山城は絵のような美しい景観をかもしだしていたに違いない。本当に美し... 2020.11.24 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑪ 三成の屋敷は御殿と呼ばれ、城の背面、琵琶湖の内湖に面した高台にあったようだ。そして、内湖には、城から百間橋という橋が対岸の松原という湖に浮かぶ小島にかけられ、そこには米蔵などの倉庫と琵琶湖の入り江の港があった。また、佐和山城の大手は中山道に... 2020.11.22 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑩ 三成は佐和山城主になると、さっそく、城の改修にとりかかった。わずかに残る当時三成が出した文書には天正十八年(一五九〇)「『佐和山惣構部普請』にあたって四郡の百姓たちを動員したい」とあることから、城は「惣構(そうがまえ)」つまり、城の外郭部の... 2020.11.20 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑨ そこで、素人の私にも分ったことは、この城は城全体を覆っていたであろう石垣が崩され、そのため、城が原形を留めないほどに破壊されて、山と同化して自然地形のようになっていたということである。しかも、石垣の石は一つも残すことなく故意に抜き取られてお... 2020.11.18 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑧ その年の秋、長谷川氏の家を訪ね、氏のライトバンに乗せてもらい佐和山に連れていってもらった。長谷川氏親子は、もう、この城跡には何十回も足を運んでいるのであろう。軽快なフットワークで迷うことなく山の隅々まで私を案内してくれた。しかも、ただ、案内... 2020.11.16 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑦ ある時などは、佐和山の岩ばかりの山の斜面を小さな岩や草をつかんで頂上まで登ったこともある。今、考えると、もし、足を滑らせたら谷底に真逆さまに落ちて命を失う危険もあった。まさに若気の至り、怖いものしらずであったと思う。しかし、それでも、城跡ら... 2020.11.14 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑥ 石田町でも、石田屋敷は完全に消滅していた。ここでも、何者かの手で石田家の屋敷は壊され、周囲をめぐっていた高土塁は完全に削り取られ、堀は埋められて、屋敷地は単なる田畑と化していた。私は、石田会館に行ったとき、そこにいた年配の男性に聞いてみたが... 2020.11.12 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと⑤ だが、それは四百年前以上も前のことである。その屋敷地がなくなることは当然考えられよう。しかし、それは、宅地開発などの造成事業や道路建設など、近年の開発で人為的にその土地が大きく改変された場合などであり、土塁や堀跡という人工的な構築物はそんな... 2020.11.10 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと④ 石田三成については、江戸時代に著された『石田軍記』などには、「(三成は)江州石田村の地侍の子で家が貧しく、到底三成を養うことが出来なかったので、寺に送って小僧にした」などと描かれ、三成は貧しい家の生まれであることが強調されているが、これは最... 2020.11.08 ブログ
ブログ 昔、佐和山に登ったこと③ だが、消えていたのは城跡だけではなかった。私は今度は同じ滋賀県内で、地上から完全に消え失せている石田三成に関係するもう一つの遺構に出会うことになった。私は、佐和山を訪れた翌年、石田三成の故郷、かつての坂田郡石田村、現在の滋賀県長浜市石田町を... 2020.11.06 ブログ