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昔、佐和山に登ったこと④

石田三成については、江戸時代に著された『石田軍記』などには、「(三成は)江州石田村の地侍の子で家が貧しく、到底三成を養うことが出来なかったので、寺に送って小僧にした」などと描かれ、三成は貧しい家の生まれであることが強調されているが、これは最...
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昔、佐和山に登ったこと③

だが、消えていたのは城跡だけではなかった。 私は今度は同じ滋賀県内で、地上から完全に消え失せている石田三成に関係するもう一つの遺構に出会うことになった。 私は、佐和山を訪れた翌年、石田三成の故郷、かつての坂田郡石田村、現在の滋賀県長浜市石田...
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佐和山に登ったこと②

もう何十年も何の手入れも施されてないと思われる木々は生い茂るにまかせて、山の斜面を覆っていた。 また、その途中には倒木や藪が行く手を塞いでいた。 私は倒木を何本もまたぎ、蜘蛛の巣に悩まされながら、やっとの思いで山の斜面をよじ登った。 しばら...
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昔、佐和山に登ったこと。

今からもう40年もまえになろうか。 私は司馬遼太郎氏の『関ヶ原』を読んで、石田三成の城があったという彦根佐和山に登りたくて、東海道線を乗り継いで彦根までやってきた。 佐和山の山麓は彦根駅の北東五百メートルほどのところにあり、徒歩で十分ほどで...
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古墳と城

青山学院大学名誉教授であられた故櫻井成廣先生は日本の城郭研究の草分けの一人であった。 私は、当時、先生が執筆された幻の豊臣大坂城の本がなかなか手に入らず、失礼とは思いながら、思い余ってご自宅にお電話をし、本を譲っていただいたことがあった。 ...
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豊後大友館

10月度のNHK学園歴史講座では、大分の「大友宗麟顕彰会」の事務局長様から送っていただいた大友館発掘、復元された庭園の資料を受講者の皆様に配布し、大友館発掘に至ったエピソードや館の構造について初めに学びました。 私が大分市を訪ねた二年半前は...
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10月度NHK学園

10月度NHK学園は「城から見る戦国から近世1」と題して、城から戦国時代がどう見えるかについて受講生の皆様と学ぶ予定です。 城絵図などを使って、城の変遷を探ったり、私自身が自分の足で歩いた数多くの戦国の城の構造やエピソードをお話ししたいと思...
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真田家と六文銭30

『真田御武功記』という書には、海野幸義が戦死したとき幸隆は自らも討死を覚悟していたが、そこに白鳥明神の使いと称する神子が現れて鉾を逆さに持ち、「この鉾を持って敵陣を破り、ここを逃れて時を待ちなさい。そのうち、必ず本望を達するときが来ます。」...
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真田家と六文銭29

そこから、真田幸隆、そしてそれ以降の真田氏は海野を詐称したのではなく、海野氏嫡流という立場を明確にしたものともいえる。 真田氏は幸隆はもちろんその子の昌幸、さらには孫の信之とまったく断絶することなく自らが海野氏であることに大きな誇りをもち、...
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真田家と六文銭28

以上のことから、幸隆は海野棟綱の子、もしくは棟綱の娘の子というような海野氏の嫡流もしくはそれに近い血を引く人物であったのではないかということが推理できよう。 先にも述べたが、『加沢記』によると、関東管領上杉憲政は真田幸隆との対面に際して、箕...