昔、佐和山に登ったこと⑦

ある時などは、佐和山の岩ばかりの山の斜面を小さな岩や草をつかんで頂上まで登ったこともある。
今、考えると、もし、足を滑らせたら谷底に真逆さまに落ちて命を失う危険もあった。
まさに若気の至り、怖いものしらずであったと思う。
しかし、それでも、城跡らしい痕跡は何も見つけることはできなかった。
そこで、思いあまって、滋賀県の教育委員会に連絡を入れて、佐和山城のことを研究している研究者を紹介してくれるよう頼んだ。
というのは、滋賀県では当時、県内の中世城郭(戦国時代の城)の分布調査を精力的に行っており、その調査には当然のことながら佐和山城も含まれていたからである。
滋賀県の担当者は、私に、県内をくまなく歩き、中世城郭の縄張図を精力的に描いている長谷川銀蔵・博美氏という親子を紹介してくれた。
長谷川親子は当時、滋賀県にある山城を精力的に歩き、関係紙にその縄張図と論文をさかんに発表している著名な研究者であった。
特に、豊臣秀吉が柴田勝家と織田信長の後継をめぐって戦った賤ヶ岳の合戦で、両者が滋賀県と福井県の県境の山々に築いたたくさんの陣城を山中に初めて発見した人物として、当時、研究者の間ではよく知られた存在であった。
そんな著名な研究者が素人の私などに会ってくれるどうか不安はあったが、それ以上に佐和山城のことがどうしても知りたくて、私は紹介されるままにすぐに長谷川氏に連絡を入れた。
すると、長谷川氏は見ず知らずの私の願いを聞き入れ、佐和山城への案内を快く引き受けてくれるという。
私は感激した。

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