昔、佐和山に登ったこと⑧

その年の秋、長谷川氏の家を訪ね、氏のライトバンに乗せてもらい佐和山に連れていってもらった。
長谷川氏親子は、もう、この城跡には何十回も足を運んでいるのであろう。
軽快なフットワークで迷うことなく山の隅々まで私を案内してくれた。
しかも、ただ、案内してくれるだけではなく、いくつかの場所では立ち止まっては、初心者である私にもわかるように、城跡の遺構を細かく丁寧に説明してもくれた。
長谷川氏の説明で驚いたのは、一見表面上は何もないように見える山の中に城跡を示す遺構がいくつもあったことである。
佐和山城は山頂の本丸をはじめ、東の尾根に「二の丸」「三の丸」を示す平地があり、南東の尾根には「太鼓丸」、南の尾根には「法華丸」という名を持つ平地があった。
これらの平地は城の曲輪(くるわ)の跡で、かつてそこには建物や櫓などが建てられていたという。
それらは、一見するとただの山の自然地形に見えるが、長谷川氏の説明を聞くと、確かにそう思えるから不思議である。
また、長谷川氏に言われるまではまったく気が付かなかったが、山の南東の谷には大手門の跡を残す高い土塁や内堀の跡といわれる水路までが存在していた。
そこでは、確かに石垣こそなかったものの、門の跡を示す窪みや大きな建物が建っていたと思われる広場などが山中に残されていた。
一人で歩いた時は何も見つからなかったが、長谷川氏親子は、まるで魔法をかけたように佐和山の山中からそれらの遺構を次々と私の前に披露してくれた。
新鮮な驚きであった。

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