昔、佐和山に登ったこと⑫

当時、佐和山城の裏門から百間橋という橋が内湖対岸の入り江に向かって架けられていた。
橋は直線ではなく三度曲折し、まさに湖に浮くような作りであったという。
湖と橋と一体になった佐和山城は絵のような美しい景観をかもしだしていたに違いない。
本当に美しい城だったのだろう。
滋賀県立大学の中井均氏によれば、佐和山城からは本丸、西の丸という頂上附近から瓦が多く採取されていることから、本丸、西の丸には瓦葺きの建物があったこと、そして、本丸の直下に二段の石垣の残石が発見されたことやその周囲に石垣の裏に詰められた栗石が多量に発見されていることから、少なくとも山頂の本丸は高い石垣で覆われていた可能性が高いという。(『近江の城』)
「三成に過ぎたるものが二つある、嶋の左近と佐和山の城」という当時の落首はそのまま佐和山城の華麗さを表しているのではなかろうか。
この当時の佐和山城の姿、景観を描いた絵図のようなものは現在までまったく伝わってはいない。
だが、佐和山山頂に築かれていたという天守閣については、滋賀県内にある二つの寺社にそれを描いたものがあるという。

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