昔、佐和山に登ったこと⑥

石田町でも、石田屋敷は完全に消滅していた。
ここでも、何者かの手で石田家の屋敷は壊され、周囲をめぐっていた高土塁は完全に削り取られ、堀は埋められて、屋敷地は単なる田畑と化していた。
私は、石田会館に行ったとき、そこにいた年配の男性に聞いてみたが、石田屋敷が壊されたという伝承など、ここには何も残っていないという。
しかし、これも考えてみれば不思議なことである。
当時の村人が敬愛してやまなかったであろう石田家の屋敷が無惨にも何者かの手によって破壊され、葬り去られてしまったのである。
この厳粛な事実は村に語り継がれていてもよいのではなかろうか。
それとも、そこに、当時の村人の間に伝承すら残せないほどの、事件でもあったというのであろうか。
私はその後も、年に二、三回は佐和山を訪れ、山の前面、背面など、考えられるあらゆる方面から山の斜面をよじ上って探査した。
だが、それでも城跡を示す何の痕跡も見つけることなどできなかった。
ある時などは、岩ばかりの山の斜面をロッククライミングのように小さな岩や草をつかんで頂上まで登ったこともある。
今、考えると、もし、足を滑らせたら谷底に真逆さまに落ちて命を失う危険もあった。
しかし、それでも、城跡らしい痕跡は何も見つけることはできなかった。

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