昔、佐和山に登ったこと③

だが、消えていたのは城跡だけではなかった。
私は今度は同じ滋賀県内で、地上から完全に消え失せている石田三成に関係するもう一つの遺構に出会うことになった。
私は、佐和山を訪れた翌年、石田三成の故郷、かつての坂田郡石田村、現在の滋賀県長浜市石田町を訪れた。
長浜市は滋賀県彦根市のすぐ北に隣接する市で、石田町はその長浜市の東の端、JR北陸本線長浜駅から東に直線で約十六キロのところにある。
ここに行くには長浜駅からバスに乗るか、タクシーを飛ばしていくしかない。
私は、このときはマイカーで東京から六時間高速道路を飛ばしてやってきた。
この石田町は横山(海抜三百十二メートル)の麓に広がる町である。
横山は、かつて木下藤吉郎と名乗っていた豊臣秀吉が、織田信長の命で江北(近江北部)の戦国大名浅井氏の居城小谷城を攻めるための最前線として城主をつとめていた横山城のあった山である。
石田町は真中を小さな街道が通り、それに沿って民家が建ち並んでおり、そこから一歩中に入るとのどかな田園風景がどこまでも続く静かな町である。
ここは、恐らく、集落や田畑の位置などその風景は基本的には江戸時代とそう大きくは変わってはいないものと思われた。
この石田町を訪れた目的は、石田三成の生家の跡を見るためである。
三成の生家の跡が地域の会館になっているという。
だが、石田町を訪ねると、そこには、石田屋敷、つまり、石田三成をはじめ、石田家代々の領主たちがかつて住んでいた屋敷の跡などどこにもなかった。
ここでも、石田屋敷はまったく何の痕跡も残さず消滅していたのである。
ここで問題にしているのは、石田家の屋敷の建物のことではない
。もし、当時の建物が残っていたとしたら、それこそ重要文化財にでもなったであろうが、問題にしているのはその屋敷地である。

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