昔、佐和山に登ったこと⑪

三成の屋敷は御殿と呼ばれ、城の背面、琵琶湖の内湖に面した高台にあったようだ。
そして、内湖には、城から百間橋という橋が対岸の松原という湖に浮かぶ小島にかけられ、そこには米蔵などの倉庫と琵琶湖の入り江の港があった。
また、佐和山城の大手は中山道に面しており、そこには大手門があり周囲は、外堀と内堀という二重の堀に囲まれていたという。
今も滋賀県犬神郡の大滝村に伝わる「かんこ踊歌」には
一 おーれは都の者なれど、近江佐和山見物しよしよ
二 大手のかかりを眺むれば、金の御門に八重の堀、先ずは見事なかかりかよかよ
三 御門をはいりて、この又かかりを眺むれば、八ッ棟造りに七見角、先は見事なかかりかよかよ
四 うらの御門先出て北を眺むれば、すそはみづうみやや見事
よい城よ、見事な城よ堀ほり上げて、せきしょをうえて、せきしょに花が咲きしならば、この堀ほりは花ざかり花ざかりと歌われている。
この素朴な歌から佐和山城がまさに絢爛豪華な城であった様が伝わってくる。
この歌の歌詞からうかがえる佐和山城は
①城の正面である大手方面はいくつもの堀に囲まれていた。
②城の玄関ともいうべき大手門は金瓦もしくは金の細工が施された見事なものであった
③大手門を入ると真正面に見える山頂本丸の造作はすばらしかった。
④佐和山城は西側が琵琶湖に面していたが、そこには裏門があり、そこから内湖に通じていた。
ということになろう。
なお、この三番の歌詞で歌われている「八ッ棟造り」とは『広辞苑』によれば「桃山時代に生じた神社建築様式の一つ。拝殿と本殿の間に相の間があって、一建築を形成し、複雑な外観を呈する。京都の北野神社の構造はこれに当たる。」とある。
確かに北野天満宮本殿を写真でみると大屋根が東西に延び豪壮な感じを受ける。
ここでは、おそらく大手門から真正面に見えたであろう本丸の造作、特に天守閣やその周囲に建っていた門、櫓などの建物の姿などを表現したものであろうが、まさにそれは豪華絢爛な造りをイメージさせる。

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