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宣教師の見た秀吉㉑

秀吉はそれに対し、「予の軍は高麗を破壊し、手中に収めた。その地の商船の往来を妨げる者なきがゆえに、毎年来たりて貿易を行うべし。もし、予が命に背反する者あれば、良将をその地に派遣してこれを罰すべし」というものであり、事実、このとき日本軍は朝鮮...
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宣教師の見た秀吉⑳

この親書の内容ではとても届けることは出来ないと判断したヴァリニャーノは秀吉側近の前田玄以やキリシタンの黒田官兵衛に頼んで内容を変更してもらったが、それでも秀吉は「近く大明国に出兵し、これを征服する。そうなれば、貴国とはさらに近づくので交誼を...
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宣教師の見た秀吉⑲

これらにより、秀吉のイエズス会に対する不信感は強まっていった。巡察使ヴァリニャーノはこれらのコエリョの軽率な言動、行動により秀吉は「伴天連追放令」を出すことになったと後に分析している。「奴ら伴天連らは、別のより高度な知識を根拠とし、一向宗と...
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宣教師の見た秀吉⑱

日本で急速に政治力と軍事力を蓄え、九州長崎を支配するようになっていたイエズス会に対して秀吉はさらなる警戒を強めた。コエリョはこのとき、明国出兵の際には二隻のポルトガル船だけではなく、ポルトガル領インド副王に要請して援軍を送らせるとも述べてい...
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宣教師の見た秀吉⑰

もとより、秀吉の「日本でも半分か大部分をキリシタンにさせよう」などという発言は本心ではないと思われるが、秀吉は航海士付きのポルトガルの大型軍船を明・朝鮮に攻め込むために提供させる意思を持っていたことは明らかであろう。さらに、秀吉は明国出兵に...
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宣教師の見た秀吉⑯

だが、秀吉の伴天連追放令は後の徳川幕府のような徹底したものではなかったようである。九州に集められた宣教師は国外退去の命を受けて謹慎はしたが、実際に国外に退去したものは一人もいなかった。それどころか、ヴァリニャーノに伴われて日本に帰って来た四...
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宣教師の見た秀吉⑮

伴天連追放令秀吉はフスタ船に乗って上機嫌に宣教師たちと談笑した僅か九日後に突如三箇条からなる伴天連追放令を宣教師たちに突きつけた。キリシタン大名高山右近は秀吉の性格について熟知しており、普段から、太閤には気を付けるよう宣教師たちに警告してい...
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宣教師の見た秀吉⑭

さらに、ヴァリニャーノは「日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきは何もなく、また、国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからである。しかし...
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宣教師の見た秀吉⑬

キリスト教の信者が増加し、さらには有馬晴信、大村純忠、大友宗麟、小西行長、高山右近、黒田官兵衛らの有力な大名たちが入信するに及んで、イエズス会宣教師、そしてその背後にいるポルトガルは日本の植民地化、そのための日本に対する武力行使を主張するよ...
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宣教師の見た秀吉⑫

「司祭たちは取り合えず一室を用意し、関白をそこに通した。彼らはそこで関白及び同行してフスタ船に入って来た武将たちに幾つかの菓子を供し、若干のレモン漬けや生姜、及び少量のポルトガルの葡萄酒を土産物として持ち帰られるようにと言った。彼は二三度繰...