ブログ ポスト秀吉⑦ もし、このまま国力が低下していけば、東アジアの覇権を狙うスペイン・ポルトガルに付け入る隙を与え、日本の植民地化につながる事態を招くとも限らない。ただ、ポルトガル・スペインは朝鮮半島をあっという間に制圧した日本の高い軍事力に恐れをなし、日本の... 2023.11.15 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑥ しかし、そのようn政権運営に異を唱える実力を持った大名が一人存在した。それが徳川家康であった。秀吉の死後から十日後の八月二十八日、中国120万石の毛利輝元は増田長盛・石田三成・長束正家・前田玄以に対し起請文を提出した。その内容は「もし今度定... 2023.11.12 ブログ
ブログ ポスト秀吉⑤ 秀吉は、秀頼への確実な政権委譲のためには、すでに対抗勢力となりつつあった現関白秀次の排除とその勢力の解体が必要だと考えた。そこで、秀吉は秀次に謀反の疑いをかけ、関白の座を奪い、一時的に高野山に追放しようとしたが、秀次は秀吉の意に反して、自ら... 2023.11.09 ブログ
ブログ ポスト秀吉④ 豊臣秀吉は武家による関白政権として豊臣家の未来図を描いていた。秀吉には晩年嫡子鶴松も誕生し、豊臣家の未来は秀吉の思惑通りに進むかに見えた。 しかし、鶴松がわずか三歳で夭折したことから、秀吉は実子を諦め、実姉ともの子、つまり秀吉の甥秀次を養子... 2023.11.06 ブログ
ブログ ポスト秀吉③ 太閤検地と呼ばれるこの検地はこれまでと異なり、米だけではなく、領内の特産物や裏作までも細かくその対象としていたが、それは、農民からのさらなる搾取をも意味していた。この新たな検地により、大名たちの石高は当初より大幅に増えたが、農民からの搾取も... 2023.11.03 ブログ
ブログ ポスト秀吉② 朝鮮に渡ることになった武将たちは、秀吉によって割り当てられた軍役を果たすため領内の村々へ厳しい人数の徴発を行った。 朝鮮に渡るためには、兵や武器、馬などを大量に運ぶための船、それを運転する船頭、船の世話をする水夫、それに加えて陸上、海上の輸... 2023.10.31 ブログ
ブログ ポスト秀吉① 慶長3年(1598)秀吉の死直後の状況秀吉は天下統一にあたって、戦国大名たちから多くの領地を奪い、中には伊達政宗のように本拠地までも移された大名もいた。彼らにとって、秀吉の死はそれら旧領を奪還する大きなチャンスであった。ここに、日本は再び戦... 2023.10.28 ブログ
ブログ 宣教師から見た秀吉㉔ 秀吉は世界の植民地化を目指す世界最強国家スペイン(このころはスペイン国王はポルトガルの王も兼ねていた)と対抗し、東アジアを日本の版図に組み込んでいく野望を持っていた。それは世界最強国家スペインに対する東洋の秀吉の反抗と挑戦でもあったろう。こ... 2023.10.25 ブログ
ブログ 宣教師から見た秀吉㉓ 慶長元年(1596)四国土佐にスペイン船が漂着したが、秀吉はその積み荷を没収した。それに対して、フィリピン総督が抗議し、それに対して秀吉は慶長二年(1597)にフィリピン総督に書簡を出した。その書簡の中で秀吉は「その国においては布教は外国を... 2023.10.22 ブログ
ブログ 宣教師の見た秀吉㉒ 秀吉はフィリピンへの使者派遣と前後して台湾にも書簡を送り、日本への服属を求めていた。この書簡には「大明国が数十万の援兵を出して朝鮮を助けたが、今や勅使を遣わして降伏を乞うてきた、南蛮、琉球も使者を派遣してきた、もし貴国も来朝しなければ、諸将... 2023.10.19 ブログ