宣教師の見た秀吉⑱

日本で急速に政治力と軍事力を蓄え、九州長崎を支配するようになっていたイエズス会に対して秀吉はさらなる警戒を強めた。
コエリョはこのとき、明国出兵の際には二隻のポルトガル船だけではなく、ポルトガル領インド副王に要請して援軍を送らせるとも述べていた。
これにより、秀吉はポルトガルの軍隊が日本までやってくることが可能なことを知った。
さらには、コエリョは後に実際に博多湾に二隻のフスタ船を長崎から回航させて秀吉に見せた。
フスタ船は数門の大砲を装備した手漕ぎの帆船であり、秀吉はこの船に乗りこんで装備された大砲を発射させ、この船が軍船であることを確認・認識した。
これは日本の長崎で造船されており、かつて肥前のキリシタン大名大村純忠がこのフスタ船の応援で敵の龍造寺隆信の軍を蹴散らしたという実績もあり、実戦で使えるものであった。
ここから、すでに宣教師たちは軍船を造る技術と能力を有していたことが分かる。
さらには、宣教師たちが独自に大村純忠に軍事援助していたことは秀吉の疑心暗鬼の気持ちを強くさせた。
高山右近と小西行長は秀吉にフスタ船を献上するようコエリョに勧めたが、それは実現しなかった。

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