宣教師の見た秀吉⑮

伴天連追放令
秀吉はフスタ船に乗って上機嫌に宣教師たちと談笑した僅か九日後に突如三箇条からなる伴天連追放令を宣教師たちに突きつけた。
キリシタン大名高山右近は秀吉の性格について熟知しており、普段から、太閤には気を付けるよう宣教師たちに警告していたが、それが現実になった事件であった。
表には決して心の内を明かさない二面性はある意味日本人の特性でもあったが、外国人である宣教師たちにはそれがまるで理解できなかった。
しかし、秀吉は伴天連追放令は出したものの、それを直ちには実行しようとはしなかった。
その理由は、宣教師なしでは南蛮貿易が出来なくなるという危惧をもっていたからである。
特に、九州や堺、都の商人たちはそのことに敏感だった。
まず、それによって確実にポルトガル船が来なくなる。
そのため、秀吉はすぐに「黒船之儀は商売之事候間格別儀候之条」つまり、南蛮船は商売のために来るのだから問題はないという一箇条をわざわざ付け加えたほどであった。
慌てた教会側では、全国に散らばっていた宣教師たちをいち早く九州に召喚して太閤の意に服する姿勢を見せた。

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