宣教師の見た秀吉㉑

秀吉はそれに対し、「予の軍は高麗を破壊し、手中に収めた。その地の商船の往来を妨げる者なきがゆえに、毎年来たりて貿易を行うべし。もし、予が命に背反する者あれば、良将をその地に派遣してこれを罰すべし」というものであり、事実、このとき日本軍は朝鮮に出兵し、平壌を陥落させていた。
秀吉はこの結果に大いなる満足と朝鮮を手中に入れたことを確信していた。
フィリピンはこのことを知ると、恐怖に怯えた。
フィリピンには、秀吉がマニラを攻撃するという情報が届いており、もし、そのような事態になれば原住民も反乱を起こすと危惧した。
そうなれば、スペインによるフィリピンの植民地支配が崩れることになる。
彼らは、秀吉が許可を与えれば薩摩の島津が襲撃してくるだろうと予想していた。
さらに、彼らは秀吉が死ねばマニラ攻撃はないと秀吉の死を望んでいた。
しかし、実際に秀吉が死んで日本軍が朝鮮から撤退しても、「朝鮮からの帰還兵は10万人以上で彼らは貧しく欲に憑かれているのに朝鮮に期待すべきものをもたない。だから、再び当地マニラを脅かすことになる」との警戒心を深く持った。

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