ブログ 佐和山城下「聞書」の謎26 「聞書」は井伊家の旧物破壊が「直政公、直孝公のお考えは、佐々木、又は石田時代より当所にあるものは一つ一つ潰していくということである。」という目的のもとに行われたことを述べ、さらに「郷中でこれまで所持してきた村方の書付、水帳類までも残らず取り... 2021.02.18 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎25 さらには『彦藩並近御往古聞書』には「直孝公の時分は禅宗の修法大会の類ばかりではなく、伊勢講、頼母し講の類、多く人の集まることはやってはいけないという。」という記述がある。 これらのことから、井伊家は、石田家時代を含めこれまで伝来した書物、農... 2021.02.16 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎24 しかし、井伊家の破壊は旧佐和山城下だけではなく、領地外にまで及んだ。 『当城下近辺絵図附札写全』には「御領分はいうに及ばず、南は八幡辺りまでもお役人が行って、荒地を潰した。」とあり、井伊家は家康の意向をたてに領地外にまで強硬な態度で臨んだこ... 2021.02.14 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎23 さらに、『当城下近辺絵図附札写全』には「城下の場所ご入用につき、彦根村、安養寺村、彦根中村、里根村をお潰しになり、このとき、村は大騒動になり、百姓たちは立腹してお役人と口論になった」 「直勝公の時代、彦根を開くとき、右の村(里根村)を一々潰... 2021.02.12 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎22 しかし、ありとあらゆる神社・仏閣が破壊されたのかというとそうではなく、中には八幡宮などのように昔から国内外に聞こえた由緒ある神社は破壊を免れている。 また、その他にも成就院のように名前や宗旨を変えられて存続したものもあった。 これら「聞書」... 2021.02.10 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎21 『淡海落穂集』にはこの神社仏閣の破壊にともなって発生したある事件のことが描写されている。 少し長い引用になるが、そこには「慶長年間に彦根山に城が出来たとき、彦根寺、門甲寺を引いた時、残った社寺欽明殿養花院を他所へ立ち退かせると奉行が言い渡し... 2021.02.08 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎20 『彦藩並近御往古聞書』には、「井伊直政公、直孝公は神社などは木の橋のように思っており、ものの数にも数えないで一つ一つ潰していった。」とあり、民衆はその為政者の意志をちゃんと見抜いていた。 さらに、同聞書には、「役人たちの仰せつけだというので... 2021.02.06 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎19 まさに、神社・仏閣の破壊は家康の上意、命令によるものであったというわけだが、『当城下近辺絵図附札写全』という聞書には、「井伊直政公、直勝公の時代に彦根を開くとき、佐和山城より彦根辺りまで数多の神社仏閣を潰し、田畑にするようとの命令があった。... 2021.02.04 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎18 佐和山に城を築くということは、そこが単に要害の地であるというだけでなく、城がその山のもつ霊力というか宗教的な力で守られるという要素もあったのではなかろうか。 さらには、佐和山の西には強力な霊山である彦根山が存在している。そう考えると、佐和山... 2021.02.02 ブログ
ブログ 佐和山城下「聞書」の謎17 『淡海落穂集』という聞書には、「曾秋坊清涼院、金剛坊宗徳寺、完徳坊円寿院、定家坊、観音坊以上七ヶ寺は佐和山山中よりこの辺りにあった霊場である。どれも、昔から天台宗でこの寺院を社宮士といった」とある。 さらには、佐和山と湖との間には後に彦根城... 2021.01.31 ブログ