川中島合戦雑記9

川中島は単なる国境地帯などでは決してない。
そこは、信濃の他の地域とは異なる文化圏をもち、日本の阿弥陀信仰の本山ともいうべき善光寺を有する宗教上の聖地であり、また、日本中から参拝客と大量の物資が集積する政治経済上の要地でもあった。
まさに、川中島は信濃にありながら、独自の文化圏・経済圏を有する特別な地域であった。
そのため、この地は支配者にとって常に垂涎の地であり、古来からその利権を巡って様々な抗争が繰り広げられてきたのであった。
川中島「善光寺平」を制するものにして、初めて信濃を制することができるのであった。
川中島というのは千曲川と犀川という二つの河川が合流したところにできた平野のことで、長野盆地とも善光寺平とも呼ばれている。
千曲川は南佐久郡甲武信岳の裾から流れ出し、小諸、上田を通り川中島に入り、一方の犀川は日本アルプスなどの高山からの水を集め、松本平を通り川中島に入ってくる。
この二つは川中島で合流して、飯山を通って越後へと流れ、やがて信濃川となって日本海に出ていく。
また、川中島は別名「善光寺平」と呼ばれているが、それは川中島の北縁に古くから一光三尊といわれる阿弥陀如来を本尊とする善光寺があるからであり、この善光寺は川中島と古くから深い関わりをもっていた。

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