川中島合戦雑記3

当時、謙信は関東管領になったばかりで、今後は関東を舞台に北条氏と戦わねばならないという事情があった。
そのためには関白である近衛前久の力を必要としていたし、前久も謙信の力を頼ってわざわざ都から関東まで来ていた。
謙信としては、近衛の前に強い自分を見せつける必要があったし、近衛もそれを期待していた。
そのことからすれば、謙信が本当に信玄と一騎討ちをしたのなら「自ら信玄の本陣に切り込んで、信玄に太刀を浴びせた」というようにはっきりと近衛に伝えだろうし、近衛もそのことをはっきりと手紙に書いたのではなかろうか。
それでは、なぜ近衛前久は謙信が太刀を取って戦うことを「天下の名誉である」とまで言ったのであろうか。
それは、当時の合戦において刀を抜いて敵と戦うこと自体が大変珍しかったことと、本来は軍の中心にいて指令を出すはずの大将である謙信が自分で太刀を取って戦ったことが大変異例なことであったからでろう。
テレビや映画の影響で、一般的に合戦というと刀を抜いて戦うものと思われているが、当時の合戦の主力は弓、槍、鉄砲であり、刀を取って敵と戦うことなどほとんど無かった。
刀はむしろ相手を倒してから首を取るために使われる場合が多く、合戦の主力兵器とはいえなかったようである。
その意味から、謙信自身が太刀を取って戦ったということは特別な意味をもっていた。
それは武田・上杉両軍が弓や鉄砲が使えないほどの距離に接近してしまったという状況を何よりも物語っているからである。

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