川中島合戦雑記8

だが、信玄も謙信もその後も何事もなかったように戦を続けている。
特に、合戦の二ヶ月後の十一月には武田軍は同盟者の北条氏の求めに応じて、関東に進軍し、小幡氏の国峰城を落としている。
一方の上杉軍も同じ十一月に同じく関東の武蔵生山で北条軍と戦っている。
そこでは、川中島合戦で大量の兵士を死なせて身動きがとれないはずの両軍が今度は舞台を関東に移して元気いっぱい戦っているのである。
しかも、両軍は先の合戦のダメージなど少しも感じさせないほどの機敏な動きを見せている。
武田・上杉両軍はたった二ヶ月で関東に出陣ができるほど奇跡の回復をとげたのであろうか。
それとも、初めからダメージなど存在しなかったのであろうか?
まさにミステリーである。
以上のように、川中島合戦はたくさんの謎につつまれたミステリアスな合戦ということができる。
そして、そのミステリーを解き明かすヒントの一つはこの合戦に関する確かな史料が残されていないことにある。

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