川中島合戦雑記4

合戦は、お互いが自分の意志で行ったのではなく、互いの意思に反して出会い頭にぶつかってしまった事故のようなものであった可能性が高い。
そこでは、お互い誰が敵か味方かさえも分からないような混乱の中で合戦が続けられたことが考えられ、その中で大将である謙信も太刀を取って戦わなければならない状況であったと思われる。
そして、その混乱の中、信玄と謙信の一騎討ちに見られるような信玄の本陣にまで斬りこんで来た武士もあったことは十分に考えられる。
信玄と謙信の一騎討ちはそのような背景のもとで生み出された伝説のようなものなのではなかろうか。
ちなみに、上杉家では後に『上杉家御年譜』という上杉家の家史をまとめているが、そこでは川中島合戦で信玄に斬りつけたのは謙信ではなく、謙信の家臣の荒川伊豆守となっている。
このことは、上杉家には謙信が信玄に斬りつけたというはっきりした伝承がなかったことを示している。
それでは、武田・上杉両軍はどうして接近戦を行うことになったのであろうか。
それは両者がそれぞれの位置を確認できないままそれぞれ軍を進めてしまい、気がつくともう目の前にそれぞれの軍が立ちはだかっていたという状況を招いたことが考えられる。
それを演出したのは川中島特有の深い霧であった可能性がある。
気象学者の研究によれば、合戦の前々日の永禄四年九月八日はかなりの雨が降り、前日の九日は晴れで、そのためその夜は高湿度による冷え込みが予想され、合戦当日の十日の早朝は放射冷却現象で霧が発生する条件が整っていたという。

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