川中島合戦雑記6

二つ目の疑問は、この鞍骨山の尾根には川中島合戦以前からすでに武田軍の手で五ヶ所に城が設けられていたということである。つまり、妻女山はその周りを武田軍の城に包囲された山であるということなのである。
当然のことながら、妻女山に布陣するにはそれら五ヶ所に設けられた武田軍の山城を落とすか封じ込めなければならない。
さらに三つ目の疑問は、当時、上杉軍が妻女山に登るには北国街道とその支道という二つのルートしかないが、その二つのルート上にもそれを阻むように武田方の城が設けられていたということである。
以上のことから、上杉軍が妻女山に登るにはルート上にある武田方の城をすべて落とし、さらに妻女山の周囲にある城までも落とさなければならないことになる。
それは、大変危険を伴う進軍であり、多くの犠牲者を覚悟しなければならない。
この後、信玄との決戦を控えていた謙信にとっては例え一兵でも兵は失いたくなかったはずであるが、これでは、決戦以前に妻女山に登るだけでたくさんの兵を失ってしまいかねない。
果たして、そこまでの犠牲を覚悟して謙信は妻女山に登る必要性があったのであろうか?
謙信は本当に、妻女山に布陣したのだろうか?

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