ブログ 川中島合戦雑記27(善光寺の争奪1) 「牛に引かれて善光寺参り」という有名なフレーズがあるが、善光寺への参詣は今も昔も盛んである。だが、この善光寺、歴史をたどれば過去に一度だけ誰一人として参詣に来ない時期があった。 それは、善光寺の本尊はおろか仏像、仏具、さらには僧侶に至るまで... 2021.04.16 ブログ
ブログ 川中島合戦雑記26(善光寺を守る城) 善光寺の至近にあって守護方の城と推定されている城として横山城がある。城跡は現在善光寺のすぐ東の彦神別神社の境内から城山市民会館にかけてわずかに痕跡を留めているが、この城は善光寺の隣といっていいくらいの至近さで、まさに善光寺防衛のために築かれ... 2021.04.14 ブログ
ブログ 川中島合戦雑記25(善光寺門前を流れる二つの川) 川中島から犀川を渡ると善光寺に至るが、この善光寺の景観も現在とは大きく異なっていた。現在は犀川を渡り善光寺に行くまで一本の川にも出会わないが、当時は犀川から善光寺に至るまでに裾花川、鐘鋳川という二つの川を渡らねばならなかった。裾花川は現在、... 2021.04.12 ブログ
ブログ 川中島合戦雑記24(川中島の諸城2) 篠ノ井石川から、千曲川沿いに東に進むと篠ノ井横田に出るが、ここには横田城がある。この城は平地に築かれた平城であるが、交通の要衝の地に位置するため、鎌倉時代から合戦の度に使用されており、その都度何らかの改修を受けていたものと推定される。篠ノ井... 2021.04.10 ブログ
ブログ 川中島合戦雑記23(川中島の諸城1) 川中島の山間部を見渡すとそこには大小の領主が築いた城が多く存在していることが分かる。その城跡は現在でも忘れ去られたように山中にひっそりとその跡を留めている。千曲川以南の埴科郡、後に武田信玄が海津城を築く英多荘(松代)の地には、西の標高六九五... 2021.04.08 ブログ
ブログ 川中島合戦雑記22(越後国境に君臨する高梨氏) 一方の高梨氏は、北信に村上氏の勢力が浸透する中で、境を接する隣国越後の守護代長尾氏と連携を深め同盟することで高井郡北部を中心に水内郡北部にまでその勢力を及ぼすようになり、さらには現在の飯山市、中野市、山内町、木島平村など千曲川東岸地域を支配... 2021.04.06 ブログ
ブログ 川中島合戦雑記21(善光寺をめぐる二大勢力) 以上のように、川中島善光寺平には村上氏の勢力が大きく浸透していたことが分かる。村上氏は十五世紀後半には千曲川・犀川の合流点までの川中島にその勢力を伸ばし、文明年間(一四六九~八七)には犀川を越えて市村・風間まで進出し、さらには小県にも進出を... 2021.04.04 ブログ
未分類 川中島合戦雑記20(善光寺別当栗田氏のこと) この大文字一揆に加わって守護小笠原氏と戦った栗田氏は村上氏と同族で、裾花川下流に栗田城を構え、至近にある平芝の守護所と対立していた。栗田城は現在長野市栗田の日吉社境内に巨大な土塁の一部が残されているが、そこは守護所があったと推定される中御所... 2021.04.02 未分類
ブログ 川中島合戦雑記19(大文字一揆の武士たち) また、主に犀川以北、善光寺方面を押さえていたのは大文字一揆と呼ばれるの領主たちであった。彼らは、犀川流域を押さえることにより、犀川一帯の水陸にわたる交通路を押さえ、その流通に深く関わっていたものと思われる。このうち、窪寺氏は善光寺から仁科方... 2021.03.31 ブログ
ブログ 川中島合戦雑記18(善光寺平の武将たち) 信濃北信地域は古代から同じ信濃の内でも中信、東信地域よりも日本海越後に近い文化をもっていた。このことは、川中島善光寺平は単に信濃と越後の国境地域というよりも越後との結びつきの深い地域であったともいえる。この地に、小笠原氏などの中央の守護の力... 2021.03.29 ブログ