ブログ

川中島合戦雑記29(善光寺の争奪3)

守護小笠原長秀の暴挙に怒った村上氏と川中島の中小の領主の集団である大文字一揆は長秀に反旗を翻して兵を挙げ、小笠原軍を蹴散らしてとうとう小笠原長秀を信濃から追い出してしまった。 この事件で長秀は善光寺を支配するどころか逆に信濃守護を追われ、京...
ブログ

川中島合戦雑記28(善光寺の争奪2)

戦国時代当時の善光寺は、日本の阿弥陀信仰の本山ともいうべき宗教上の聖地であり、それに伴って日本中から参拝客と大量の物資が集積する信濃第一の政治経済上の要地で市も立っていた。 ここを押さえれば、大きな経済上の利得を得ることができたことは容易に...
ブログ

川中島合戦雑記27(善光寺の争奪1)

「牛に引かれて善光寺参り」という有名なフレーズがあるが、善光寺への参詣は今も昔も盛んである。 だが、この善光寺、歴史をたどれば過去に一度だけ誰一人として参詣に来ない時期があった。 それは、善光寺の本尊はおろか仏像、仏具、さらには僧侶に至るま...
ブログ

川中島合戦雑記26(善光寺を守る城)

善光寺の至近にあって守護方の城と推定されている城として横山城がある。 城跡は現在善光寺のすぐ東の彦神別神社の境内から城山市民会館にかけてわずかに痕跡を留めているが、この城は善光寺の隣といっていいくらいの至近さで、まさに善光寺防衛のために築か...
ブログ

川中島合戦雑記25(善光寺門前を流れる二つの川)

川中島から犀川を渡ると善光寺に至るが、この善光寺の景観も現在とは大きく異なっていた。 現在は犀川を渡り善光寺に行くまで一本の川にも出会わないが、当時は犀川から善光寺に至るまでに裾花川、鐘鋳川という二つの川を渡らねばならなかった。 裾花川は現...
ブログ

川中島合戦雑記24(川中島の諸城2)

篠ノ井石川から、千曲川沿いに東に進むと篠ノ井横田に出るが、ここには横田城がある。 この城は平地に築かれた平城であるが、交通の要衝の地に位置するため、鎌倉時代から合戦の度に使用されており、その都度何らかの改修を受けていたものと推定される。 篠...
ブログ

川中島合戦雑記23(川中島の諸城1)

川中島の山間部を見渡すとそこには大小の領主が築いた城が多く存在していることが分かる。 その城跡は現在でも忘れ去られたように山中にひっそりとその跡を留めている。 千曲川以南の埴科郡、後に武田信玄が海津城を築く英多荘(松代)の地には、西の標高六...
ブログ

川中島合戦雑記22(越後国境に君臨する高梨氏)

一方の高梨氏は、北信に村上氏の勢力が浸透する中で、境を接する隣国越後の守護代長尾氏と連携を深め同盟することで高井郡北部を中心に水内郡北部にまでその勢力を及ぼすようになり、さらには現在の飯山市、中野市、山内町、木島平村など千曲川東岸地域を支配...
ブログ

川中島合戦雑記21(善光寺をめぐる二大勢力)

以上のように、川中島善光寺平には村上氏の勢力が大きく浸透していたことが分かる。 村上氏は十五世紀後半には千曲川・犀川の合流点までの川中島にその勢力を伸ばし、文明年間(一四六九~八七)には犀川を越えて市村・風間まで進出し、さらには小県にも進出...
未分類

川中島合戦雑記20(善光寺別当栗田氏のこと)

この大文字一揆に加わって守護小笠原氏と戦った栗田氏は村上氏と同族で、裾花川下流に栗田城を構え、至近にある平芝の守護所と対立していた。 栗田城は現在長野市栗田の日吉社境内に巨大な土塁の一部が残されているが、そこは守護所があったと推定される中御...