川中島合戦雑記22(越後国境に君臨する高梨氏)

一方の高梨氏は、北信に村上氏の勢力が浸透する中で、境を接する隣国越後の守護代長尾氏と連携を深め同盟することで高井郡北部を中心に水内郡北部にまでその勢力を及ぼすようになり、さらには現在の飯山市、中野市、山内町、木島平村など千曲川東岸地域を支配下とし、隣国越後にも七箇所の所領をもつ大領主に成長していった。
その高梨氏と長尾氏との関係は古い。
文明九年(一四七七)越後守護上杉房定は信濃守護を兼ねるようになるが、当時、上杉氏は高梨氏と敵対していたため、危機感を感じた高梨政盛は越後守護代長尾能景に娘を嫁がせ姻戚関係になった。そして、その間にできた娘をさらに孫の政頼に嫁がせさらに強い関係を結んでいった。
このような背景から、高梨氏は永正四年(一五〇七)に長尾氏が守護上杉房能を攻めるといち早くこれに呼応して出陣し、房能を自害に追いこんでいる。
また、その二年後、兄の関東管領上杉顕定が関東軍を率いて長尾氏を攻めたときも越後へ出陣し、長尾軍とともに顕定を討ち取っている。
さらに、その後守護上杉定実と長尾為景の仲が悪化したとき、北信の井上氏、島津氏、栗田氏らが定実を支援する中、高梨政澄は為景の要請に応じて出陣している。
この上杉定実と長尾為景の対立にからんで、北信では高梨一族の小島氏や被官の夜交氏らが高梨氏に反乱を起こしている。
この事件は長尾氏と同盟して勢力を伸ばしてきた高梨氏に危機感をもった村上氏が高梨包囲のため定実勢に働きかけて起こした企みであるとされている。(『長野県史』)
このように高梨氏は越後守護代長尾氏との同盟関係を維持し、それによって奥信濃に着実に勢力を伸ばしてきていた。
また、それは長尾氏の側からみれば、信越国境に強固な防波堤を築いたことになる。
両者は戦国時代にあっても、上杉謙信の母は高梨政盛の娘であり、孫の政頼の妻は謙信の父為景の妹というような深い姻戚関係を維持し、強敵武田信玄に立ち向かって行くことになる。

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