善光寺の至近にあって守護方の城と推定されている城として横山城がある。
城跡は現在善光寺のすぐ東の彦神別神社の境内から城山市民会館にかけてわずかに痕跡を留めているが、この城は善光寺の隣といっていいくらいの至近さで、まさに善光寺防衛のために築かれた城との感を受ける。
この城は川中島合戦の折り、上杉謙信が本陣を置いたところであるが、そこに本陣を置く行為はまさに善光寺を武田氏の手から防衛するという意識の表れといえよう。
この善光寺周辺には、もう一つ、善光寺を事実上支配していた別当栗田氏の居城栗田城があった。
先にも述べたように栗田城は守護所があったと推定されている中御所のすぐ東、一キロメートルとない位置にあり守護所と対立する形で築かれていた。
さらに、善光寺のすぐ北西にある標高八〇九メートルの葛山には葛山城が築かれ、善光寺から戸隠へ抜ける山間のルートを押さえていた。
このように善光寺周辺には城が集中して築かれていたが、それは善光寺とその門前町そのものが常に政治的色彩を帯びた争奪戦の的となってきたからである。
善光寺周辺の城は善光寺を渡すまいとする構えの現れともいえよう。
城館は、善光寺から越後国境奥信濃にかけても、その地を領する島津氏、井上氏、市川氏、高梨氏及びその配下の小領主たちによって山、平地を問わず築かれていた。   
以上見てきたように戦国時代の川中島善光寺平の景観は、平野部一帯は洪水の多発による氾濫原に覆われ、山間部もしくは交通の要衝にはたくさんの城館がひしめく様相を呈していた。
川中島は決して何もない平穏な平野ではなかったのである。