川中島合戦雑記27(善光寺の争奪1)

「牛に引かれて善光寺参り」という有名なフレーズがあるが、善光寺への参詣は今も昔も盛んである。
だが、この善光寺、歴史をたどれば過去に一度だけ誰一人として参詣に来ない時期があった。 それは、善光寺の本尊はおろか仏像、仏具、さらには僧侶に至るまで略奪されてしまい、善光寺がまさに「がらんどう」になってしまったからである。
それでは、その善光寺をまるごと略奪した犯人はいったい誰なのであろうか?
それは武田信玄と上杉謙信である。
二人は互いに善光寺の宝物を持ち帰り、自分の国に勝手に善光寺を建立してしまったのである。まさに、神も仏もない。
いや、彼らにすれば神も仏もあるから持ち帰ったのであろう。
前稿でも、述べたが、今も、善光寺の周囲を歩いてみると、戦国時代の城跡がたくさんあることにびっくりする。
まず、近いところでは、善光寺から二百メートルほどいった東に行ったところに一つの城跡がある。
そこは現在公園になっており、その名を「城山公園」という。
この名の通り、かつてここには横山城という城があった。
横山城の遺構は今では公園から百メートルほど東の彦神別神社を中心とした一画にわずかに残されているだけだが、かつてはこの辺りの台地一帯が城だったようだ。
この横山城は上杉謙信が川中島合戦のおり、本陣としたことで有名である。
また、善光寺の西には小柴見城、さらには、善光寺の背後にそびえる山々には、西から旭山城、葛山城、大峰城、枡形城、若槻山城という城跡がある。
これらはどれも川中島合戦における上杉氏に関係した城だと思われるが、それらの城跡を訪れてみてびっくりするのは、その規模がどれも大きいことである。
そこには、この善光寺を絶対に信玄に渡したくないという謙信の強い意志のようなものが感じられる。
このように、戦国時代の善光寺は周りをいくつもの城塞に厳重に守られていた。
だが、それは考えてみれば実に異様な光景である。

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