川中島合戦雑記24(川中島の諸城2)

篠ノ井石川から、千曲川沿いに東に進むと篠ノ井横田に出るが、ここには横田城がある。
この城は平地に築かれた平城であるが、交通の要衝の地に位置するため、鎌倉時代から合戦の度に使用されており、その都度何らかの改修を受けていたものと推定される。
篠ノ井には横田城から一キロほど北に進んだ布施高田に布施氏の布施高田館、そこから南東一キロほどにある小森には小森氏の小森館、さらに約一・五キロ東の杵渕に杵渕氏の杵渕館、犀川に近い小松原に小松原城があった。
これらの城館は善光寺への幹線ルート沿いにあり、それぞれ街道や渡しを押さえていたものと思われる。
また、川中島の中央、犀川に近い青木島大塚に町田氏の大堀館があった。
この大堀館は弘治元年(一五五五)の川中島合戦の折り、武田信玄が本陣を置いたところとされている。
大堀館の跡は現在は中学校の敷地になり、校庭の隅にひっそりと記念碑が建つのみであるが、中学校建設前の写真や地籍図を見ると高さ10メートルはあろうかという高土塁が館の四周を巡り、その外側を幅の広い堀が囲む堅固な城構えだったことが分かる。
このように、川中島には山間部を中心に多くの城館が存在していた。
これらがすべて川中島合戦時に機能していたかどうかは定かではないが、横田城などのように交通の要衝にあるものは何らかの形で使用されていたことが推定される。

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