川中島合戦雑記25(善光寺門前を流れる二つの川)

川中島から犀川を渡ると善光寺に至るが、この善光寺の景観も現在とは大きく異なっていた。
現在は犀川を渡り善光寺に行くまで一本の川にも出会わないが、当時は犀川から善光寺に至るまでに裾花川、鐘鋳川という二つの川を渡らねばならなかった。
裾花川は現在、善光寺の西を流れているが、かつては善光寺門前を流れていた。
現在、長野県庁付近に裾花川の分水口が残されているが、当時の裾花川はそこから東西に流れていたのである。
この裾花川と鐘鋳川の間が当時の門前町であった。
この裾花川と鐘鋳川の様子については『一遍上人絵伝』にも描かれている。
当時、善光寺門前の裾花川には欄干が設けられており、武士もそこで下馬しなければならなかった。
また善光寺の南大門付近に鐘鋳川が流れていた。
善光寺は何度も火災にあい、その都度再建されているが、川中島合戦当時の善光寺の本堂の位置も現在とは異なり、二百メートルほど南の現在元善町の仲見世・宿坊のある地蔵菩薩堂辺りにあった。
この善光寺門前には後庁があった関係で、守護の詰めの城と考えられている小柴見城・旭山城が善光寺の西側の標高七八五メートルの旭山に築かれていた。
旭山城は川中島合戦において、武田・上杉両軍が共に使用しており、そのとき改修されたものと推定される。
今も城跡は旭山山頂に良く遺構が残っており、楕円形の本丸には土塁がめぐっている。

タイトルとURLをコピーしました