川中島合戦雑記37(願文で信玄のパワーを奪おうとした謙信)

謙信は、また、川中島の合戦に際して、川中島八幡の更級八幡宮と越後蒲原郡弥彦神社に信玄に対する願文を捧げている。
更級八幡宮へは弘治三年(一五五七)一月二十日に願文を捧げているがそれには「信玄が信州に乱入し、神社仏閣を壊し、国中の人々を悲嘆に陥れている。私が信玄と決戦するのはこのためである。私は国の安全のために戦っているので他に目的はない」(大意)と主張している。
さらに永禄七年(一五六四)六月二十四日に更級八幡宮に捧げた願文は「武田晴信悪行のこと」と題し、箇条書きにして信玄を非難しているがその中に「信玄が何の関係も無い隣国を取ろうと野心を抱き、無道な攻撃をするので、それにより御堂や御宮が消失している」「信玄は実の親である武田信虎を追い出し、浪人乞食の身の上に落とし、正しい人の道を失っている。これでは仏神の御心にかなうはずはない」などと言っている。
要は、「数々の悪行を働いてるのは信玄であり、私はそれを阻止するために戦っているのである。そんな信玄に神仏の加護などあるはずはない。だから、神仏は私を応援すべきである。」ということなのであろう。
これはまさに信濃の神仏をことごとく信玄に取られた謙信の負け惜しみのようにも思えるが、何とか信玄から神仏のパワーを奪おうと神に訴え苦心惨憺していている謙信の姿が思い浮かぶようである。

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