宣教師から見た秀吉㉔

秀吉は世界の植民地化を目指す世界最強国家スペイン(このころはスペイン国王はポルトガルの王も兼ねていた)と対抗し、東アジアを日本の版図に組み込んでいく野望を持っていた。
それは世界最強国家スペインに対する東洋の秀吉の反抗と挑戦でもあったろう。
この秀吉の強気の姿勢、さらには朝鮮に出兵し短期間で平壌まで陥落させたという事実はスペインの支配するマニラに大きな恐怖感を与え、スペイン側にアメリカ大陸のように日本は簡単に征服できないことを認識させた。
言葉を替えれば、秀吉の強烈な軍事行動や強硬な外交姿勢はスペインの日本征服計画を大きくけん制し、抑止する効果となっていったのであった。
この結果、家康の時代になるとスペインは日本への武力征服論を放棄し、布教によるキリスト教化を通して日本支配の実現をはかる戦略へと転換していった。
家康には秀吉の残した中国、朝鮮、東アジアへの武力と強硬外交をどう平和的に転換させるか、さらにはスペインの日本戦略を警戒しつつも、南蛮貿易をどう継続させるかという大きな課題が待っていた。

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