ポスト秀吉②

朝鮮に渡ることになった武将たちは、秀吉によって割り当てられた軍役を果たすため領内の村々へ厳しい人数の徴発を行った。 朝鮮に渡るためには、兵や武器、馬などを大量に運ぶための船、それを運転する船頭、船の世話をする水夫、それに加えて陸上、海上の輸送を担う大量の人夫が必要である。
彼らは、下夫と呼ばれ、物資の運搬や陣地の構築などの雑役に当てられるが、この下夫を担うのが村々から徴発された一般の民衆であった。
当時の記録によれば、秀吉子飼いの部将で肥後半国25万石の大名である加藤清正の軍では一般民衆の割合が31%、同じく肥後半国の大名小西行長の軍に至っては約40%もあったことが分かっている。
貴重な労働力である彼らなしに戦の遂行は事実上不可能であった。
それに加えて領内の村々からは兵糧としての米、馬の飼料の大豆が厳しく調達されていた。
秀吉は朝鮮出兵にあたって、全国の大名の領地に検地を行い、大名たちの石高を厳格に定めていた。
その真の目的は、朝鮮に動員する兵の数を規定することにあった。
例えば、九州では100石につき5人、中国・四国では4人と定められた。
仮に1万石の大名であれば、500人、10万石の大名であれば5000人の兵が割り当てられることになる。

タイトルとURLをコピーしました