ブログ 宣教師の見た秀吉③ 大坂城について 「その城郭は、厳密に言えば、五つの天守から成っていた。すなわち、その各々は互いに区別され、離れており、内部に多くの屋敷を有するはなはだ高く豪壮な諸城である。それらのうち最も主要な城(本丸)に秀吉が住んでおり、その女たちも同... 2023.08.22 ブログ
ブログ 宣教師の見た秀吉② フロイスは秀吉が信長の天下を簒奪したことについて「がぜん過去の仮面を捨て、以後は信長のことには何ら構わぬのみか、為しえること万事において信長を凌ぎ、彼より秀でた人物になろうと不断の努力をした。彼は安土山にいた信長の孫にあたる少年(三法師)を... 2023.08.19 ブログ
ブログ 宣教師の見た秀吉① 「彼は身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には六本の指があった。眼が飛び出ており、シナ人のように鬚が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき策略家であった。彼は自らの権力、領地、財産が順調に増していくにつれ、それとは比べ物にな... 2023.08.16 ブログ
ブログ 関ケ原合戦直前の家康⑤ 家康は会津征伐のため、6月16日に兵を率いて大坂を発ったが、「リーフデ号」にも堺を出帆させ、相模の浦賀まで渡航させた。浦賀に着くころには、家康はすでに江戸に入っていた。 この浦賀への移動の理由は船に搭載されていた武器を会津討伐に使うためで... 2023.08.13 ブログ
ブログ 関ケ原合戦直前の家康④ このとき、家康は豊臣政権大老筆頭として、大坂城にあって秀頼を補佐し、天下の政務を執っていた。この事件は上杉征伐の直前であるが、家康の頭の中は、当面の上杉攻めに加えて、これからいかに日本の舵取りを行っていくかという責任感にあふれていたといえる... 2023.08.10 ブログ
ブログ 関ケ原合戦直前の家康③ 家康は宣教師の布教活動とスペイン・ポルトガルの帝国主義が一体となって繰り広げられているという事実を確認することが出来た。 これに危険を感じたポルトガルのイエズス会宣教師たちは「彼らを処刑すれば、オランダ・イギリスの海賊は恐れて日本に来ない... 2023.08.07 ブログ
ブログ 関ケ原合戦直前の家康③ 二人は「貿易を通じてアジアのすべての君主と友好関係を築くことを望んでいる、日本にはない品物をイギリスからもたらし、イギリスにはないものを日本で購入したい」と述べたが、それは、ポルトガル以外にも対外貿易を望んでいた家康にとって満足のいく回答で... 2023.08.04 ブログ
ブログ 関ケ原合戦直前の家康② ちなみに、関ヶ原から五年後、江戸幕府成立後にはタイ、ベトナム、カンボジアなどの東南アジア諸国と国書を交換して通商の確認と安定がはかられている。幕府が渡航許可証を発給して安全を確保する「朱印船貿易」も行われるようになっていく。 リーフデ号事... 2023.08.01 ブログ
ブログ 関ケ原合戦直前の家康① 関ヶ原合戦の直前、1600年4月11日に豊後臼杵(大分県臼杵市)にオランダ船「リーフデ号」が漂着するという事件が起きた。 「リーフデ号」には貿易品としての毛織物、装飾品として珊瑚のビーズ、琥珀、色ガラス、鏡、眼鏡などが積まれていたが、一方... 2023.07.29 ブログ
ブログ 七月のNHK学園歴史講座 七月のNHK学園歴史講座は「大航海時代と天下人」シリーズの第四回目。 「大航海時代と徳川家康」を学びました。 家康は、秀吉が朝鮮出兵で残した多くの負の遺産を清算することから始めなければならなかった。 秀吉の行った朝鮮出兵により、百姓な... 2023.07.26 ブログ