ポスト秀吉③

太閤検地と呼ばれるこの検地はこれまでと異なり、米だけではなく、領内の特産物や裏作までも細かくその対象としていたが、それは、農民からのさらなる搾取をも意味していた。
この新たな検地により、大名たちの石高は当初より大幅に増えたが、農民からの搾取も厳しさを増し、同時に、石高の大幅な増加は朝鮮に動員される人数が大量に膨れ上がることにつながっていった。
領地は増えずに、石高だけが増え、その結果、朝鮮に動員する兵が大幅に増える。
太閤検地とはそんな兵の収奪手段であった。
秀吉は「一艘でも多きほど手柄なるべし」「兵糧のこと、多く貯え候ほど手柄たるべし」と「際限なき軍役」を大名たちに課しており、彼らにとって天下人秀吉の命は絶対であった。
もし、要求された数の兵を期日までに準備できなければ、大名たちは改易され、領地の没収という過酷な運命が待っていた。
特に、動員の主力となった九州をはじめとする西国の百姓たちにとって朝鮮行きはどうにも避けようのない厳しい現実であった。村々では、朝鮮に行くことを拒否した村人が田地を放り出して村から脱走する、いわゆる「逃散」がそこかしこで起こっていた。仮に動員を免れて、村に残ったとしても、朝鮮出兵の長期の兵糧を支えるために厳しい搾取が待っていた。

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