ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 11 (中田正光氏作図 滝山城千畳敷)滝山城千畳敷は政庁、客人を迎える御殿のような建物が建つ平和文化空間であったと思われる。しかし、その東には角馬出が上図の様に設けられている。ただ、角馬出は小ぶりで、さらに馬出を囲む堀も狭く浅い。この角馬出はとて... 2021.12.07 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 10 千畳敷の角馬出千畳敷は、政庁、そして客人をもてなす空間として、その目的に沿った建物が建っていたと思われる。いわば千畳敷は城内唯一ともいえる平和な空間で軍事的要素は必要ない場でもあろう。しかし、ここには、曲輪東側に小さめではあるが堀を伴った立... 2021.12.04 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 9 千畳敷でのおもてなし千畳敷には滝山城の政庁、さらには客人をもてなす施設があったと推定されることは先に述べましたが、そこでは客人をどのようにもてなしたのでしょう。その一つのヒントになるのが、千畳敷から北の谷間に下りる虎口です。千畳敷北の谷間に... 2021.12.01 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 8 千畳敷のもてなし千畳敷の面積を考えれば、そこには、大きな庭園などはなかったように思われます。(中田正光氏作図滝山城千畳敷)しかし、この千畳敷には北西に谷間に下りるための小さな虎口があることが分かります。しかも、それは枡形虎口であったようです... 2021.11.27 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 7 千畳敷とはどんな曲輪か(「諸国古城図」に描かれている千畳敷)(千畳敷現状)千畳敷は滝山城において、政治・領国経営の中心を担う政庁のような建物があった場所だと思われます。また、そこは滝山城を訪れた客人を受け入れる御殿のような建物も付属していた... 2021.11.24 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 6 滝山城千畳敷とはどんな曲輪だったか その1(「浅野文庫古城図」にみる千畳敷)(中田正光氏作図による千畳敷)千畳敷の虎口は、出入りの門が付属された複雑な形態であったと思われる。それは、千畳敷という曲輪の性格が反映されているからである。千畳敷に... 2021.11.21 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 5 千畳敷の虎口について「浅野文庫諸国古城図」では、千畳敷の虎口は単純な「平虎口」で防御性の高いものとはなっていない。だが、現状では虎口を入ると前面に土の壁が存在している。以下は現状の写真である。この壁上には当時は塀が設けられていたと思われ、千... 2021.11.19 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 4 千畳敷の虎口の構造「古城図」では、以下のように千畳敷の虎口は単純な「平虎口」で防御性の高いものとはなっていない。しかし、現状では虎口を入ると前面に土の壁が存在している。この壁上には当時は塀が設けられていたと思われ、千畳敷の虎口、すなわち門を... 2021.11.16 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会から 3 大手門から千畳敷への関門入城者は大手門を入ってさらに短い坂を上って右(東)に進路を取り、千畳敷に向かうが、古図では南にある二つの曲輪からの厳しい攻撃にさらされる様子が見て取れる。古図では分かりにくいが、しばらく進むと、コの字型に堀が通路に食... 2021.11.12 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会から2 滝山城大手門について 前回で述べたが、「武蔵滝山城図」によれば、大手門と推定される門は大手口谷間の坂を上った奥に設けられている。滝山城は街道に面したところに大手口があり、街道と城の入り口には堀があったと考えられる。近年まで、そこには、堀跡と推定される浅い窪地が存... 2021.11.09 ブログ