滝山城築城500年記念講演会より 9

千畳敷でのおもてなし

千畳敷には滝山城の政庁、さらには客人をもてなす施設があったと推定されることは先に述べましたが、そこでは客人をどのようにもてなしたのでしょう。
その一つのヒントになるのが、千畳敷から北の谷間に下りる虎口です。
千畳敷北の谷間には湧水を利用した池があったことが分かっています。

(中田正光氏作図千畳敷北の池と中之島の跡)

滝山城の谷間にはもともと湧水が存在し、池は谷をせき止めて作られたと思われます。
谷間には今も水が湧き出、谷をせき止めた土塁の跡も残っています。
また、かつての池の跡には弁財天を祀ったと推定される中之島の跡があり、当時、中之島周囲の池は舟を浮かべられるような深さがあったと推定されます。
実は、滝山城と同様の池と中之島の跡が埼玉県寄居町の鉢形城にも存在しており、城内に池と弁財天を祀る中之島を設けることは北条氏の一つのステータスになっていたのかもしれません。
想像をたくましくすれば、中之島の弁財天を祀る堂と池の対岸と中之島をつなぐ橋は朱色に塗られ、青い池に朱がまばゆいばかりの光沢を放っていたのかもしれません。
池には客人をもてなすための小舟が浮かべられ、そこで酒を振舞ったり、歌を詠んだりと優雅で安らかな一時が流れていったことでしょう。
千畳敷から谷間へ降りる小さな枡形虎口は、まさに池に下りるために設けられた客人をもてなすための優雅な門であったのでしょう。
谷間に設けられた天空の池は他の城にはない、滝山城独自のユニークな文化空間だったのではないでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました