ブログ 佐和山の思い出4 佐和山城の大手といえば、ある一つの出来事を思い出す。それは慶長四年に起こった加藤清正、福島正則ら七将による三成襲撃事件により、三成が佐和山に引退させられた時のことである。家康の命で三成は奉行筆頭の座を追われ、居城佐和山に引退させられたが、三... 2021.12.18 ブログ
ブログ 佐和山での思い出3 大手門跡が残っているところは必然的に佐和山城の大手になるが、そこは街道に面した場所で、琵琶湖側は搦め手ということになる。しかし、琵琶湖は京都までの重要な水路であり、水運の要であったことを考えれば、決して搦め手とはいえない要素もある。事実、安... 2021.12.15 ブログ
ブログ 佐和山の思い出2 ドライブインのおかみさんに言われた石垣の跡が気になって、佐和山トンネルを抜けて後ろを振り返って佐和山を見たが、樹木に覆われていたこともあってそんな石垣はどこにも見えなかった。それから、佐和山に来るたびにそれを繰り返したが、延々と続く石垣など... 2021.12.13 ブログ
ブログ 佐和山の思い出 もう随分まえの前の話だが、滋賀県彦根市の佐和山城跡の麓に一軒のドライブインがあった。見た所、やや古い感じがするコンクリートの建物であったと記憶している。そのドライブインのある場所は佐和山トンネルの入り口付近で字名を「枡形」と言った。「枡形」... 2021.12.10 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 11 (中田正光氏作図 滝山城千畳敷)滝山城千畳敷は政庁、客人を迎える御殿のような建物が建つ平和文化空間であったと思われる。しかし、その東には角馬出が上図の様に設けられている。ただ、角馬出は小ぶりで、さらに馬出を囲む堀も狭く浅い。この角馬出はとて... 2021.12.07 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 10 千畳敷の角馬出千畳敷は、政庁、そして客人をもてなす空間として、その目的に沿った建物が建っていたと思われる。いわば千畳敷は城内唯一ともいえる平和な空間で軍事的要素は必要ない場でもあろう。しかし、ここには、曲輪東側に小さめではあるが堀を伴った立... 2021.12.04 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 9 千畳敷でのおもてなし千畳敷には滝山城の政庁、さらには客人をもてなす施設があったと推定されることは先に述べましたが、そこでは客人をどのようにもてなしたのでしょう。その一つのヒントになるのが、千畳敷から北の谷間に下りる虎口です。千畳敷北の谷間に... 2021.12.01 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 8 千畳敷のもてなし千畳敷の面積を考えれば、そこには、大きな庭園などはなかったように思われます。(中田正光氏作図滝山城千畳敷)しかし、この千畳敷には北西に谷間に下りるための小さな虎口があることが分かります。しかも、それは枡形虎口であったようです... 2021.11.27 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 7 千畳敷とはどんな曲輪か(「諸国古城図」に描かれている千畳敷)(千畳敷現状)千畳敷は滝山城において、政治・領国経営の中心を担う政庁のような建物があった場所だと思われます。また、そこは滝山城を訪れた客人を受け入れる御殿のような建物も付属していた... 2021.11.24 ブログ
ブログ 滝山城築城500年記念講演会より 6 滝山城千畳敷とはどんな曲輪だったか その1(「浅野文庫古城図」にみる千畳敷)(中田正光氏作図による千畳敷)千畳敷の虎口は、出入りの門が付属された複雑な形態であったと思われる。それは、千畳敷という曲輪の性格が反映されているからである。千畳敷に... 2021.11.21 ブログ