滝山城築城500年記念講演会より 11

(中田正光氏作図 滝山城千畳敷)

滝山城千畳敷は政庁、客人を迎える御殿のような建物が建つ平和文化空間であったと思われる。
しかし、その東には角馬出が上図の様に設けられている。
ただ、角馬出は小ぶりで、さらに馬出を囲む堀も狭く浅い。
この角馬出はとても実戦的ではないのである。

そればかりではない。
角馬出の土橋は二の丸隅の櫓から狙われる構造になっているが、もし、この櫓から矢なり鉄砲なりが撃ち込まれた場合、それは確実に千畳敷内部に達することは間違いない。
これでは、まるで千畳敷を攻撃対象としていることになる。
もちろん、千畳敷から客人を装って二の丸に攻めてくる輩がないとはいえない。
しかし、そう想定した場合、この角馬出の規模ではあまりにも心もとないのである。
それでは、何のために、角馬出はわざわざ千畳敷に設けられたのであろうか。
実はこれとよく似た例が他の城にもある。
それは、慶長5年、関ヶ原合戦直前に築かれたと思われる美濃菩提山城である。

(中田正光氏作図菩提山城)
この城の本丸入口にも小さな角馬出が設けられている。
そして、この小さな角馬出周囲の堀も浅く狭い。
この馬出も実戦としては約に立たないことであろう。
(菩提山城本丸前角馬出写真)
この城は、関ヶ原の入り口ともいうべき美濃垂井を押さえるために築かれた城であると思われる。
そして、この城には大部隊を率いる大将がその本陣とするため入城する予定であったと推察される。
大将がおわす本丸は城内で特別な空間であり、その入り口には何らかの権威的な装飾が必要であったと思われる。
それがこの小さな角馬出なのではなかろうか。
北条氏は平和文化空間である千畳敷に小さな角馬出をわざわざ設けた。
それは、武士北条氏のシンボルであり、権威的装飾であったのではなかろうか。
私はそう考える。

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