滝山城築城500年記念講演会より 6

滝山城千畳敷とはどんな曲輪だったか その1
(「浅野文庫古城図」にみる千畳敷)

(中田正光氏作図による千畳敷)

千畳敷の虎口は、出入りの門が付属された複雑な形態であったと思われる。
それは、千畳敷という曲輪の性格が反映されているからである。
千畳敷には、滝山城の政庁ともいうべき建物があったことが推定されるが、それと共に客人を迎える施設もあったと思われる。
客人とは、城主の北条氏照が外交を担っていた甲斐武田、越後上杉、三河徳川、そして織田信長らからの使者、そして、様々な訴訟を持ち込む領内の小領主なども含まれよう。
彼らは、領主北条氏照を訪ねて、千畳敷曲輪にやってくる。
特に、戦国大名からの使者は北条氏としては格式をもって迎えなければならないことであろう。
千畳敷に異なる出入りの門があったのはそのような理由からではなかろうか。
千畳敷は滝山城で最もハレの場であった。

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