滝山城築城500年記念講演会から2 滝山城大手門について

前回で述べたが、「武蔵滝山城図」によれば、大手門と推定される門は大手口谷間の坂を上った奥に設けられている。
滝山城は街道に面したところに大手口があり、街道と城の入り口には堀があったと考えられる。
近年まで、そこには、堀跡と推定される浅い窪地が存在していたという。
堀には木橋、もしくは土橋が掛けられ、そこを渡ると、大手口に入る構造であったろう。
大手口に入ると、道は二回カーブしており、そのカーブには小門(木戸)があったと考えられる。
ここから、大手口の奥にある大手門は単独で存在したわけではなく、小門(木戸)とセットになった複合的な守りであったと考えられる。
このように、滝山城の大手門に到達するには小門のある大手口の谷間の坂を上らなければならないが、その間小宮曲輪と西に張り出した曲輪から常に攻撃を受けるという厳しさとなっていたことが分かる。

大手門の構造
古図によれば、描かれている大手門は通路に平行に設けられてはおらず、左(西)に一度曲がって入る枡形門構造となっている。
道の拡張のため一部破壊されてはいるものの、現在も大手門を形成していた土塁が道に張り出すようにして築かれていた跡が残っている
そこから、大手門に入るには、体をぐっと左に向けねばならず、必然的に大手土塁上の櫓、小宮曲輪から容赦ない攻撃を受けることになる。
滝山城大手口にある大手門は豪華、華麗な見せる門というより、枡形構造の実戦本位の門であった。

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